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「0 1/2計画」「不思議の国とアリス」
Diary(h)
■12月29日(木)
 そうか、今日は木曜日でしたか。ゴミ出し忘れたな。明日関東に帰るので、今年はゴミを出さないまま年越しだ。まあ、旧正月までにはなんとかする。
 4日の新年試食会ですが、なんかお酒大丈夫みたいです。周囲に支障のない範囲で飲みましょう。うちの両親はワインを持って行くと張り切っています。うちからは茨木の地酒を持って行きます。
 というわけで今年も終わりです。いろいろありがとう。新たなるステップへ向けて、恭子さんはいよいよ会社をやめました。しばらくは休んでそのあとは修行です。前に、夫が中国へ行っている間にフランスに行っていいかと訊かれたので、それは駄目だと答えたら、昨日、「英夫が中国へ行っている間、私は図書館に行くよ」と言っていました。
 いま、なんとか年賀状を形にして印刷しようとしたら、プリンタのインクが切れてしまっていた。こんなこともあろうかと、前に替えを買った記憶があるのだけど、どこにしまったか全然思い出せません。まあ、いいや。旧正月までにはなんとかする。
■12月25日(日)
 上にバナーも貼ってみましたが、新年早々第一回の試食会をします。

●日時:2006年1月4日(水) 12:00〜15:00
●場所:さいたま市 与野本町コミュニティセンター調理室
 埼京線与野本町駅徒歩3分(地図
●参加費:500円
●メニュー:おせち料理各種(お雑煮、煮〆、きんとん、なます、かまぼこ、白菜漬、ごはん、他)

 もうあまり日もないのですが、ご都合つく方は是非いらして下さい。お金を取るかどうかは悩んだのですが、只だとシビアな意見を言えなくなるかとも思いまして、場所代程度を取らせていただくことにしました。ご飯は12時頃から食べられるようにする予定ですが、我々夫婦は多分9時頃には会場入りしていますので早く来られても構いませんし、会場は17時まで借りていますのでちょっとぐらい遅く来ても構いません。公共施設の調理室なのでお酒はNGです。あまり深くは考えずに新年会気分でいらしてください。お待ちしております。

 以上、宣伝。
 昨日は京都の大垣書店という本屋で宮沢章夫さんの「チェーホフの戦争」と「資本論も読む」を買い、今日は一日だらだらとそれを読んだり、上のバナーをつくったりしていた。わざわざ大垣書店まで行ったのは来月15日にそこで催される宮沢さんのサイン会の整理券を配っていたからで、発売から一週間以上も経っているのに整理券は残っているのかという私の心配をよそに、配られた番号はまだ11番だった。京都の皆さん、遅いですよ。相馬君が演出助手をしていた「トーキョー/不在/ハムレット」の打ち上げで、宮沢さんの手相を見せてもらったりして、宮沢さんに「兄妹のように似ている夫婦」として認識してもらっている我々夫婦は、果たしてまだ宮沢さんに顔を覚えていてもらっているのか。そして相変わらず「似てるねえ」と言ってもらえるのか。乞うご期待。
 そんなこんなで年の瀬の準備とやらは全く進んでいない。上のバナーに載せた張り子の犬は恭子さんが年賀状用に紙粘土でつくったもので、非常に良くできているのだが、それをただデジカメで撮って年賀状に載せてしまうと、「普通にセブンイレブンで買ってきたものと見分けがつかなくなってしまう」ような気がしてまだ年賀状の形になっていない。来年中国出張を控えた夫を持つ我が家の年の瀬の合い言葉は「旧正月までにはなんとかする」だ。
■12月17日(土)
 ホンダのアシモが軽快にジョギングするニュース。ロボットを作っていた人間としては、単純にすごいと思うし、楽しい気持ちになる。立ったり、歩いたり、走ったりと、親戚の子供の成長を見守るようだ。でも、これ人間という進化というか成長のお手本があるから、こんなに速く開発が進んで行くんだろうな。「走っちゃ駄目なんじゃないか?」とかいうひともいないだろうし。今後はジャンプしたり、サッカーしたり、逆上がりしたりして、最後の課題は「いかに寝たきりになるか」だ。
「大日本天狗党絵詞」黒田硫黄:再再読くらい。読むたびに面白い。独特の絵柄は言うまでもないが、コマ割り、台詞まわし、話の展開と収拾のさせかた、すべて完璧。見開きのたびにどきどきする。やはりこのひと天才。「セクシーボイスアンドロボ」はいつ出るのか。
■12月11日(日)
 うん、まあ、食わず嫌いなんですけどね、mixi。
 mixiの持つコミュニケーションの有効性に疑いも否定もないし、そもそもこのページだって知り合いにしかURLを教えてないから、思想としてはあまりmixiと離れていないのだけど、たぶん僕がmixiに持っている違和感を一言でいうと、それは「mixiに誘われなかった人の存在」だ。

 携帯電話がそろそろ寿命。Tu-Kaからauに乗り換えられるとのことなんだけど、相馬君も指摘するようにauのデザインは最近駄目っぽい。talbyももう売っていないそうだ。電池だけ換えるか。残るはWILLCOMか。携帯難民。
 一足早いクリスマスプレゼントはシュヴァンクマイエルの「オテサーネク」と「悦楽共犯者」DVD2枚セット。相変わらずチェコアニメ(って、これアニメじゃないけど)の導眠効果は抜群で「オテサーネク」は3回に分けてやっと最後まで観れた始末。「悦楽共犯者」は不思議と元気が出る。一家に一枚。
■12月4日(日)
 オウムの事務所がどこかのマンションに移ったら、そこの自治会が立ち退き要請をしたというニュースをちょっと前に見て、その自治会代表の人たちの毅然とした態度と、オウムの人たちの困惑した態度にとても物悲しい気持ちになる。オウムは何するか分からなくて気持ち悪いから出て行けという被害者的態度の無条件的強さはなんなんだ。どっちも個人レベルではいいひとなんだろうな。集団になるとどうしてこうも排他的になるのか。しかも排他的な人たちは排他的であることに大抵無自覚な気がする。mixiとかどうなんだろ。
ダイエーの新しいスローガンに「おいしいごはん」というフレーズを持って行かれた。ロゴもいいんでないでしょうか。
後輩の古賀君が家に遊びに来るので、部屋の片付けをし、鼻水が止まらなくなる。いつものことさ。お雑煮をはじめとしたおせち料理試作品でおもてなし。一足早く正月が来た。
ちょっと前に作った曲。大掃除シーズンも間近ということで。
片付けのうた」(1.1MB)
■11月30日(水)
 ライト兄弟は偉い。自分で考え、自分で作り、自分で乗った。
■11月20日(日)
 おととい誕生日。および結婚記念日。ありがとう。特に変わらず爪も髪も伸びている。会社でちょっとしたアンケートがあって、30代に○を付けたときは「ああ、世間的には違うカテゴリなのね」と思ったけど。
 茨木農業祭に出掛け、大豆一升、コロッケ、フランクフルト、天ぷらを買ったり食ったり。
 社宅の事務的な仕事をしながら、オウムは今、的なドキュメンタリーを見る。ヨガ教室の先生が実はオウム信者であることを隠し撮りを駆使して突き止め、鬼の首を獲ったようにオウムはこんな勧誘をしているぜと告発する、というどうしようもない作り手の姿勢はさておき、我々のやろうとしているお店も、一般的常識的な社会のシステムから脱線して、より自己の感性に誠実に生活しようとする(ことを模索しようとする)姿勢は、本質的にはオウムへ出家するひとのそれとあんまり変わらないと思っていて(中沢新一がトリガーだったりするし)、まあ、誤解や心配はするならしろという感じだが、告発や吊るし上げはやだなあ。本屋で魔女狩りの本をちょっと立ち読み。
「オテサーネク」ヤン・シュヴァンクマイエル:本屋で見つけて衝動買い。本です。DVDも出ているみたいなのでアマゾンで買おうとしたら、「悦楽共犯者」とセットでどうかと魅力的なことを言ってくるなコノやろう。巻末の監督インタビューは我々の背中を強く後押しする。

私は預言者ではないので50年先、100年先のことはわかりませんが、画一化された世界に抵抗する<セクト>がこれからもっと生まれてくると思います。私の言う<セクト>は宗教的なものではなくて、大衆文化や政治的な立場を拒絶し、必要なものだけ社会から受け取りつつ独創的な立場を取ります。抵抗の意味は画一化された文明の一枚岩を粉砕するということです。
(中略)
これから芸術だけではなくてあらゆる分野、方面でこのような<セクト>が生まれると思います。かつて、仕事と呼ばれていたものは魔術的で、もっと儀式的なものでした。家畜や馬を飼い、最低限の仕事をしながら基本的な生活を営んでいました。仕事は生活に色をつける大切なもので、仕事の意味はいまより深く重要だったように思います。現代はその儀式的な部分が失われ、ただお金をもうけるために仕事をしている人がたくさんいます。


■11月15日(火)
 左右で違う靴下を履いていた一日。仕事が終わって制服を着替えるときに気づいた。
 
 紀宮様ご結婚。朝、ニュースで紀宮様の生い立ちを紹介していて、「小学校ではクラスの人気者で学級委員もお務めになられました」とのことだったが、考えてみればこの人のおじいちゃんは神様だったわけで、「神様の孫は学級委員」ってなんかすごい響きだな。小学校の学級文庫にありそう。「神様の孫は学級委員」
 仕事中、トヨタのホームページから辿った、ラクティスという車の開発リーダーの書くブログを見ていて、なんか単純に楽しそうで、お店のブログの方向付けが見えたような気がして勇気づけられた。反グローバル、非競争、階層の縮小化をねらうお店としては、アンチの対象であるトヨタ(とか巨人とかレアル・マドリード)に感化されるのも癪だけど。靖国のこととか改憲のこととかその他いろんなことで対立が生まれていて、議論が白熱化するとただの揚げ足取りになってどっちが正しいもへったくれもなくなってくるのだけど、そんなとき単純に、楽しそうに充実して生きていそうな人が言っていることが正解のような気がしていて、お店のページも、とにかく楽しそうにやっていることを表現することが大切だと思った次第。ちなみにお店をつくるにあたっての夢の一つは曽我部さんにライブをしてもらうこと。ああ、楽しそうだなあ。



 左右で違う靴下を履いてしまったときの問題として、それに気づいた人がどう声を掛ければいいか分からない、というのがあると思われる。あ、あのひと左右で違う靴下を履いてる。でも、そんな間違い普通しないよね。左右でわざと違う靴下を履くのがはやりなのかも知れない。とか思ってうっかり「おしゃれですね、それ」と声をかけられたら私はどう答えれば良かったのだろうか。あと由々しき問題としては、これらの靴下が洗濯されて乾くまでは、履かれなかった方の左右の違う靴下も履けない、ということで、一気に慢性靴下不足だよ。
「履かれなかった方の左右の違う靴下」も学級文庫にありそうだ。戦時中の話。最後に妹は死んでしまうね。
■11月8日(火)
 特に忙しくもなく。
 ていうか、休暇。前回の日記も休暇のときに書いてるな。そして今日も「デス・ノート」をブックオフみたいな古本屋で立ち読み。3巻も読むとさすがに疲れる。警察へ行って免許の更新手続き。車ぜんぜん運転してないのでゴールドになります。
 伊勢神宮に行ったこととか、インド音楽を聴いたこととか、靖国神社のこととか、書きたいことはいっぱいあったのだけど、なんか書かなかった。妻が辞表をしたためる横で、「ワンダと巨像」をやっていたり。岩ちゃんの手紙の返事も書いてないし。返事を書くためのボールペンは買った。紺。岩ちゃんの手紙にはお店のことへの質問や要望が書いてあって、これはそのまま対談形式にしたらホームページに載せられるな、と思っていたのだけど、やっぱり本当に対談したものを載せた方が誠実な気がするのでやめた。対談しよう、岩ちゃん。というわけで1 1/2計画のホームページは未だに告知ページのまま。なんかどういうテンションで語ればいいのかが分からなくなってるな。
 NHKで紹介していた「東北学」という季刊誌を買う。最近興味のあることが、全然冷蔵庫技術者っぽくない。そういう人こそ冷蔵庫を作るべきなのか、どうか。
 TV Bros.で絶賛していたANIMAL COLLECTIVEというバンドの「feels」というアルバムをiTune Music Storeで視聴したらすごく良かったので買いに行ったのだけど、feelsというバンドの「ANIMAL COLLECTIVE」だと勘違いしていてなかなか見つからなかった。
 今、カレーを煮込み中。最初にタマネギを弱火でじっくり炒めると味が甘く力強くなるとのことなんだけど、いつもせっかちに炒めてしまっているので、今日はギターを弾いて一曲歌ってはかき混ぜて炒めてをじっくり繰り返したので、おいしくなりそう。たのしみ。
■10月13日(木)
 なんとなく休暇。朝、妻がトイレから「(新しい)トイレットペーパーを取って下さい」と呼びかけるので、「金のトイレットペーパーと銀のトイレットペーパーとどちらがいいですか」と尋ねると、「紙で」と答えた。つつましやかな妻だ。
 妻は仕事(川へ洗濯)へ。自転車のタイヤの空気を入れたらペダルがぐんと軽くなった。最近ずっと坂道が辛かったのは体力が落ちたせいではなかったと安心。漫画喫茶で「デス・ノート」を読む。1時間半で4巻、5巻。2度読みしなきゃ意味分からないこともあるし、一時間360円じゃ買った方がコストパフォーマンスは良さそうだな。買わないけど、かさばるから。あと、「デス・ノート」読んだ後街中を歩くと歪んだようなすさんだような妙な孤高感を感じて変な気分になる。あと、ラーメン屋とかのジャンプでたまに一話だけ読むと、全然意味が分からないのに何か面白いのはなぜだろう。絵がうまいからか。レコード屋で「中南米マガジン」を見つける。以前、「0 1/2計画」の段ボールパッケージワークショップでお会いした編集長の金安さんの妙なテンションを思い出しうれしくなる。アリスの広告も載っていたのでつい買ってしまった。500円だし。お金でつながる心もあるな。
 昨年、扉と天井板の設計を手がけた冷蔵庫がグッドデザイン賞を獲る。店頭で目立つのが良いデザインとされている中で、シンプルに白い箱であることが評価されての受賞。ちなみにこれはドイツのIFデザイン賞も受賞しているので、国内外で評価されたことになる。でも売れてないんだよな。メーカーにとってはいうまでもなく「売れる=いい」なので、少数の有識者が好むものよりも、多数のユーザーが好むものをつくります。7:3なら7を取ります。3を作れば3割独占じゃん、と思うけど、そんな選択はしません。善し悪しを個人の感性と洞察力では判断しません。ていうか個人の感性を持つことは悪に近いです(企画部の人たちは忙しすぎて(多分)プライベートではほとんど冷蔵庫を使っていないだろうと思われます)。分からないことは上に決定権と責任を投げつけます。だから偉い人が好むものしか作られません。今回受賞した冷蔵庫は、僕と同年代のデザイナがデザインしたものですが、企画当初はもっとシンプルでした。社長の一存で今の形になりました。この文章、会社にばれたらまずいかなあ。でもきっと大概のメーカーでは常識なんだろうな。フィクションということにしておこう。
■10月10日(月)
 おととい新しいOSが届き、iChat(インターネットテレビ電話)環境が整ったので、さっそく相馬君のところとつなげてだらだらと話す。画面には相馬君の家のカメラの映像と、そのフレームの端っこにうちが送っている映像が映る。うちのPCはいわゆるリビングにあり、うちのカメラはそのままダイニングを通過して、その奥にある風呂場の風呂桶まで映しているのだが、そこから今にも貞子が這い出てきそうで怖いことになっている。下館(現筑西市)のあきらさんもまじえてマルチチャットに挑むも、うちのマシンのスペック不足で不可能。ていうかあきらさんのところとは1対1でも画像がつながらない。なぜだ。遠いのか、茨城は。音声によるマルチチャットは出来るので、下館ー荻窪ー茨木の3元電話をだらだらと。面白いな、これ。で、映像によるマルチチャットをするにはCPUが1ギガHz必要らしい。うちのは867MHz。おしい。133MHzくらいおまけしろよ。最近iPodの電池も切れ気味だし、商売上手だなあ、APPLEは。
 昨日今日は、恭子さんの提案で滋賀県の堅田というところへ棚田を見に行く。カタタノタナダ。本当に漠然とただ棚田を見ながら歩く。夕日をバックに棚田と琵琶湖。別に癒しとかでもなく、明日の仕事への活力とかでもなく、ただそこにある棚田。夜は予約していた民宿へ。フロントには誰もおらず、脇の食堂で子供が一人テレビゲームをしている。こちらの顔を見て「お客さん?」と訊くのでうなずくと、奥に向かって「お客さんやでー」と叫ぶ。こないだ観た「リアリズムの宿」をちょっと思い出して嫌な予感がしたが、あとはふつうにきれいでのんびりしていていい民宿でした。壁が薄くて隣の部屋のテレビが聞こえるけど。テレビで「スピード」を観る。バスが爆発するところまで観て寝る。朝、琵琶湖のほとりをちょっと散歩してから食堂に行くと、床を豚が舐めていた。ご飯を食べていたら足に豚がぶつかった。いかにも脱サラしたような旦那と奥さんと子供二人と犬2匹と豚がやっている民宿。アンケートに「ブタがいてびっくりしました」としか書かなかったことを少し悔やむ。
 割と早めに戻ってきて、さっきまた相馬君とだらだら話す。恭子さんは明日も休み。新しいタイトル写真は堅田の道に落ちてた栗。
Diary(k)
●12月16(金)
 鐘の音が響き渡るとき、町は恐怖に包まれる。その音は「学校のチャイム」に似ている。
 人々は次々と近くの建物に逃げ込み、しっかりと鍵をかける。町はしんと静まりかえる。アスファルトを敷いていないその簡素な道に、土埃を巻き上げ、巨大なつる草が突進してくる。逃げ遅れた人や馬は、そのつる草に触れたとたんに「植物人間」にされてしまう。町の人たちは、それが終わり、つる草が去るまで、ぶるぶると震えている。
 ある日、よろいを着けた母が、一人ででかけてゆく。母はその道をさかのぼり、ついにつる草の根元にたどり着く。鐘の音が鳴っていないときは、つる草は眠っていた。母はつる草の根元を斧で切り、根っこを掘り起こし、燃やしてしまう。それ以来、町につる草が現れることはなかった。幼稚園のときに見た夢。


へっく


しょん
●12月8日(木)
 煮〆を煮ている。
 豆、しいたけ、こんにゃく、鶏のぶつ切り、あと根菜をたくさん。鍋に入れてしまえば、あとは時々味見をするだけだ。待っている間、台所のまな板とかを置くところに布巾をかけたり、シンクにちらばった里芋のもじゃもじゃした皮を片付けたりしている。
 ここ何日か、夕ご飯の後におせちの練習をしている。雑煮とか、なますとか、栗きんとんとか。英夫さんはもう寝ている。
 私たちは今、英夫さんの会社の社宅に住んでいるのだけど、その土地が人手に渡ることになった、と英夫さんが言っていた。もう少ししたらここを出て行かなくちゃならない。
 どこからか背の高い機械が来て、このシンクは粉砕されるのだろう。なんだか、よくわからないな。よくわからないけど、私は布巾をかけている。


街で見かけたおしゃれな冷蔵庫

●11月25日(金)
 フランスに行ってみたい。
●11月24日(木)
 揚げ物が苦手だ。粉をつけて、からりと揚げて、油をきる。それだけのことなんだけど、そのスピード感についていけない。油の温度は刻々と変わるし、冷めないうちにどんどん次を揚げなくちゃいけないし、手はべたべたしてくるし、台所は粉だらけになるし。
 なんとなく油っぽくなった牡蠣フライを食べ終わった後、布団に寝転んでじっとしていたら、英夫さんが弾こうとして手にとったアコースティックギターが頭にごーんとあたって、涙がどばあっとでてきた。そして私は「あああ」と言った。
●11月23日(水)
 休日。朝、英夫さんより先に目が覚めたので、一人で「不思議の国とアリス」のための「段ボールリサイクルパッケージ」を作り始める。お客さんの手に渡るDVDのパッケージを、1点1点手作りで、しかも不要になった段ボールをリサイクルして製作しよう、という企画に私も参加させてもらっていて、今作っているのはもう8作目。

 段ボールでパッケージを、というのを最初に聞いたとき、すてきなアイデアだと思った。リサイクルというテーマももちろんいいと思うんだけど、それだけじゃなく、そもそも段ボールというものの質感が、私は好き。無骨で、素っ気なくて、でも、力強くて。1点1点それぞれに異なる生い立ちと個性があって。もとの用途が同じ「梱包」という目的だというのも、リサイクルとして、とてもしっくりくる。

 それで、1作目に使った圧力鍋の段ボールは、鍋の写真をそのまま生かしてみた。鍋のまわりに、「小さくなった」アリスと、「芋虫」を配置したもの。もしも私が小さくなったら、やっぱり台所に行ってみたいな、と思って。
 2作目は絵の具で描いた葉牡丹。寒さの厳しい二月、朝夕の通勤の時に見かける葉牡丹の鉢植えがきれいな季節だった。その頃、「アリス」の製作はキャラクターのモーション(動き)がつき始めたばかりで、白黒で骨組みだけのその画面が、それでも、とてもきれいだった。それが、きれいさの源が何なのか理解しきれないような、まるで生き物のような底の知れないきれいさだった。葉牡丹に見とれているときの感じと似ている、と思った。
 3作目は「穴」をテーマに。段ボールを二枚重ねて上の一枚だけをDVD型に切り抜き、中に毛糸を敷き詰めたり、色紙を重ねて、くり抜いた小さな丸い窓から向こう側の模様が見えるようにしたり。段ボールに異素材を組み合わせるのが楽しくなってくる。それで、4作目は段ボールよりもむしろ毛糸がメインに。編み物でサクランボ形に。
 5作目は、ケーキ形。この頃にはもう段ボールパッケージを作るのが楽しくてしょうがなくなっていて、何を見てもパッケージに見えるようになっていた。それで、この時たまたま読んでいたお菓子作りの本が、ケーキの写真がとてもおいしそうで、すぐに「これは段ボールパッケージで作れる」と思った。段ボールをタルト生地に、ウッドビーズをイチゴやナッツに、紙粘土を生クリームに、太い黄色の毛糸をくるくると絞り出したカスタードクリームに見立てて、その本のレシピそのままに、作り上げた。
 でも、そのときはっと気がついたのは、DVDを送るときの「メール便」の厚みを超えているのではないか、ということ。たしか、2センチが上限だったはず。はかってみると、かなりぎりぎりというか、ちょっと超えているくらい。
 しかも、そのとき一緒に作っていたリサさんのパッケージが、とてもシンプルかつキュートだった。たしか夏みかんの段ボールだったと思うんだけど、橙色のみかんの柄をそのままに、背中のところだけ布を使ったパッケージ。あれっ、私は何をやってるんだろう、と思った。もう、「段ボール」でも「リサイクル」でもなくなっているのではないか。
 そこで、6、7作目はシンプルに、段ボールの外側に油性マジックと朱墨だけでどーんとアリスの絵を。内側も、パッケージを閉じるためのリボン以外は、紙のみで作った。原点に還る。

 で、8作目も基本は段ボール。フェルトやボタンもちょっとは使うけど、あくまで段ボールが引き立つ範囲で。でも、これまでにいろんな素材を使ってみたおかげで、どうやったら効果的に使えるのかがいろいろイメージできて、これまたとても面白い。

 英夫さんは8作目を評して「くるりの4thアルバム『THE WORLD IS MINE』みたいだ」と言った。電子機器を使いつつ、それに振り回されずにきちんと消化し、原点であるバンドサウンドに違和感なく取り込んでいるのがこのアルバム、とのこと。
●11月22日(火)
 仕事で、嬉しいことがあった。一生懸命に機械の気持ちを分かろうとすれば、いつかは心が通じ合う。それは私にとっては、とてもとても大変なことなのだけど。
 吉祥寺にあったという「諸国空想料理店KuuKuu」のことを私は知らないのだけど、そこで働いていたという人の文章をインターネットで見つける。

(前略)
 KUUKUUをどんなお店かとカテゴライズするのはとても難しい。分かりやすくエスニック料理屋みたいなとらえかたをされたりもしてたけど、それもピンとこない。なにせ空想料理店である。言っちゃえばなんでもあり、 バーリトゥードなお店であった。
 
 シェフの高山さん(今となってはすっかり売れっ子)はいい意味で素人臭い料理人だったと思う(あくまでいい意味でね)。常識にとらわれず(もしかしたら知らないだけかもしれないが)、 自分の五感だけを頼りに料理を作っていってた。街はずれで夜な夜な繰り広げられる錬金術ショー、そんな感じ。
(後略)

 ああ、どんなにいいお店だったことだろう。いや、よく知らないんだけど。でも、私もそうなりたい、と思った。

 びっくりするくらいおいしいごはんを、毎日作れるようになりたい。きっとできると思う。だって、イメージできる。イメージできる夢は、かなう。
●11月21日(月)

 眼の力つきて瞬く夕烏
 煙突と工業団地の夕暮れと
 この空は誰のものにもならないで

 最近、日没の時間にこっそり会社の屋上に行って、太陽を見送っている。
●11月20日(日)
 金曜日に会社で要らない部品の整理をしていたら、上司に「欲しい部品があったら記念に持って帰ってええで」と言われたので、かわいい形のものを選んで一袋、もらって帰る。

部品

 とりあえず、記念撮影。テーマは「公園」。ベンチと灰皿は「ボールキャッチブラケット」と「スペーサー」、水飲みと踏み台は「誤装着防止ピン」と「基板スペーサー」、砂場は「回り止め」という名前でした。

公園

考えてみたら、私は今まで何百個もの部品の図面を描いて、それに一つ残らず名前をつけてきたのだな。「名前をつける仕事」をしていたのだ。そしてまた、そのいくつかの名前を、今、剥いでしまった。「回り止め」と呼ばれていたその部品は、名前から解放された今、同じ図面から作られた他の部品と別れて、ただの金属片になった。