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「0 1/2計画」「不思議の国とアリス」
Diary(h)
■9月29日(木)
相馬君のところでは今、iChatというインターネットテレビ電話のようなものが大流行りだそうで、勧めたがりの相馬君から何度か電話でiChat環境を整えるべく催促を受けていて、環境を整えるといっても必須アイテムのiSight(カメラ)は去年何かの折に相馬君から一台貰い受けており、あとはOSを買ってアップグレードするだけなのを、何の理由も無く億劫がっていたのだけれど、やっと重い腰をあげました。ていうかアップルストアでネット注文しただけなので腰さえあげていないのだけれど。ただ、うちはクレジットカードというやつを持っておらず、コンビニ決済にしたので実際に手に入れるにはもうちょっと時間がかかりそうです。もうちょっと待ってね。
で、重い腰をあげた理由のひとつが、ブログだ。お店のホームページは基本的にはブログ形式にしようと思っていて、でもライブドアとかは年収アップの広告入るし、はてなダイアリーは勝手にリンクのアンダーバーを引かれてなんか余計なところが強調された感じの文章に見えてやだなと思っていて、まあ、自分で作ってみるかとちょっとネットで調べたのだけど、全然分からないよ、ブログの作り方が。というわけでプロのウェブデザイナーである相馬君の知恵を借りるべくのテレビ電話作戦なのです。
お店といえば昨日恭子さんの友達からお店のことをもっとちゃんと考えて、可能であれば今は思いとどまるべきだという旨のお手紙が届く。心配してくれてほんとうにありがとう。今日は仕事の合間合間に、どうすれば彼女を説得(多分いつまでたっても安心はさせられないと思う)できるか考えていたのだけれど、特に妙案はなし。これは、というキラーフレーズを考えること自体が、1/2計画の趣旨からはみでちゃってる気もするし、ほんとうに「愛は勝つ」って思っていてもいきなり「愛は勝つ」って歌っちゃったら嘘くさいだけだしな。とにかく積み重ねること。分かっていることも分かっていないことも分かっているつもりだと分かっていることも分かっているつもりで分かっていないことも誠実さも不誠実さも誠実に伝えていこう。そのためのブログ。いや、別に日記でもいいのだけれど。
通勤時に河原を自転車で走っていて、iPodからくるりの「ハイウェイ」のイントロがかかるととてもドキドキする。僕が旅に出る理由は大体百個くらいあることと、僕には旅に出る理由は何一つ無いことは同じことなんだ。
■9月19日(月)
 三連休。初日(17日)は荒川君の結婚式で宇都宮へ。荒川君の人柄そのままに、かなりの数のお客さん。披露宴の余興ではミエシカさんがフラを舞う。体の芯をイメージしながら、ここまで繊細に真摯に筋肉を使うひとの動きを見たのは初めてかもしれない。誰かに真剣に何かを伝えたいという眼差しもとても印象的。写真を撮ろうと一番前にしゃしゃり出たのだけど、結局踊り始めの一枚しか撮れなかった。あとはボーッと眺めてた。恒例のマダムハニームーンバンドは今回は人形劇。相変わらずのぐだぐだっぷりでしたが、最後は新郎自らがこれまた恒例の長渕「乾杯」独唱。俺に幸せあれと高らかに絶唱し、なんとか盛り上がる。ちなみに新郎はお色直しの前にも槙原敬之を独唱しており好き放題。同じホテルの別のフロアで2次会。メインイベントは格闘技サークル出身の新郎VS友人のガチンコ試合。途中トレパンの紐が切れつつも腕ひしぎ逆十字固めで新郎勝利。お開き後、酔って顔を真っ赤にしながら落ちるトレパンをずりあげつつ記念品のケーキを配る新郎はあまりにも貧相で、敗戦後の物売りの少年の様だった。ともあれおめでとう。君に幸せあれ。夜の新幹線で次回のマダムハニームーンの構想を練りながら大宮の恭子さんの実家へ。
昨日は久方ぶりのロボコンOBOG飲み会。この冬結婚する裕子ちゃんへの贈り物として、急遽東急ハンズで材料を買い集め、ロボコンアイディア賞受賞マシンの「Twin-Tech」のミニチュアを作成。構想、設計、製作実質3〜4時間のハリボテだが、田宮のモーターユニットを使ってちゃんと前進、後退、左右旋回ができる優れもの。子機はチョロQのブルドーザー。幹事芳ちゃんはそんなガラクタプレゼントではと心配していたが、そこそこ喜んでいたのではなかろうか。去年の結婚披露合宿で主賓としてして招くも仕事でこれなかった伝説の先輩杉さんにも7年ぶりに会えた。帰りの新幹線を予約していたので最後はバタバタしてしまったが、懐かしい顔にも会えテンションの上がった3時間でした。深夜、茨木駅でお腹がすいたので、松屋で牛丼。
帰省中、色んな人とお店の話をした。応援も心配も期待も不安もありがとう。細かいことは何一つ決まっていませんが、概要は近いうちにホームページにアップします。まずは今年中に試食会をやろう。
今日は一日家でゆっくり。曽我部恵一のライブビデオを観てバンド熱が上がる。

「火の鳥(黎明編)」手塚治虫
「火の鳥(乱世編)」手塚治虫
「リアリズムの宿」山下敦弘
  ■9月9日(金)
 昨年の秋に、あれは確か相馬君が演出助手をした映画「be found dead」の京都公演の打ち上げの席で、その頃、ひとの手相を見るのが趣味だった恭子さんが、劇作家の宮沢章夫さんの手相を見せてもらったときの帰りの電車の中で、「まあ、ともあれ、やってもいいのではないか」と思い立ってから、仕事が忙しかったり忙しくなかったり楽しかったり楽しくなかったりでだらだらと一年近くが経とうとしていて、先日、夜ご飯を食べる元気がないほど疲れて帰ってきて、ミカンのかき氷だけを食べて寝たらものすごく体調が悪くなって、また、「まあ、ともあれ、やってもいいのではないか」という気分が盛り上がってきたので、ここは「ひょうたんから駒、棚からぼた餅、犬も歩けば、」で。とりあえず、発表。
1 1/2計画です。
まだ告知のみ。乞う御期待。
■8月16日(火)
出勤の恭子さんにくっついて京都まで。電車の中で物語をする。
「はなたろう」
 あるところに小学生のおとこのこがいました。おとこのこの名前はハジメといいましたが、おとこのこのはなはふつうの人の5ばいも大きかったので、みんなからははなたろうとよばれていました。
 あるひのうすぐらい夕方に、はなたろうはへやでしゅくだいをしていました。ノートにコンパスで円をたくさんかいていると、はなたろうのはながムズムズしてきました。はなたろうはこらえきれなくなって大きなくしゃみを36回もしました。36回目のくしゃみのときになにかがはなから出てきました。はなたろうはいそいでせんめんじょにいって、かがみを見ました。するとはなたろうのはなのあなから、けいたいでんわのストラップについている人形のようなものがとび出していました。はなたろうはびっくりしてストラップのような人形をつまみだそうとしましたが、人形ははなのおくにしっかりとくっついていて、いたくてとてもつまみだせません。でもなんどもつまんではひっぱっているうちに人形はまたはなの中にもぐっていってしまいました。
 つぎの日、はなたろうはおもいおもいランドセルをせおって学校に行きました。ランドセルはとてもおもかったのではなたろうはちこくしそうになりました。するとはなたろうのかおのあたりから「かせよ」という声がきこえました。はなたろうはあわてて立ちどまり、はなのあたりをまさぐりました。するとはなの下にきのうの人形らしきものがいるのがかんじられました。「やめろ、やめろ、いたいな。それ、かせよ、おもいんだろ」とまた声がしました。はなたろうはおそるおそるランドセルをかおのまえにもっていきました。するとはなたろうのランドセルがものすごいいきおいでひっぱられて、はなたろうのはなのあなの中に入っていきました。はなたろうはすっかりみがるになり、はしって学校まで行ったのでちこくしませんでした。学校につくとはながむずむずしてきたのでくしゃみをしたらはなからランドセルが出てきました。
 はなたろうははなの中の人形をストラップと名づけました。ストラップのことはともだちにもお母さんにもお父さんにもないしょにしました。ストラップはおもいにもつをもってくれたり、きらいなきゅうしょくをかくしてくれたり、さみしいときのはなしあいてになってくれたりと、とてもいいともだちになりました。
 ある日、はなたろうはいじめっこのイワオにいじめられていました。イワオのげんこつがはなたろうのはなにとんできたときに、ストラップはイワオをはなにすいこみました。はなたろうはいじめっこをやっつけていい気ぶんになりました。はなたろうはストラップに「もういいよ。出してあげよう」といいましたが、ぜんぜんへんじがありません。はなたろうはこわくなっていえまで走ってにげました。いえにかえってせんめんじょのかがみの前ではなの中をのぞきました。はなのおくはまっくらでなにも見えません。むりやりくしゃみをしてみました。360回もしました。ノートにたくさんコンパスで円をかいてみました。ストラップは出てきませんでした。はなたろうはほんとうにおそろしくなって大きなこえでなきました。はなたろうがないているとなみだのにおいにつられてまどから大きな大きなハチが入ってきました。ハチはないているはなたろうのかおのまえでいっしゅんとまったかとおもうと、あっというまにはなたろうのはなをさしました。はなたろうがびっくりしているうちにはなはどんどんどんどんおおきくなって、はなたろうのかおと同じくらいになりました。そして大きくなったはなのあなからイワオがポンととび出してきました。イワオははなの中がそうとうにこわかったらしくずっとないていました。
 それいらいストラップはもうはなたろうのはなから出てくることはありませんでした。はなたろうのはなは元の大きさに、といってもふつうのひとの5ばいの大きさですが、もどりました。イワオはくらいところがこわくなって夜ねる時にでんきを消さなくなりました。
おわり

京都で「リンダリンダリンダ」を観る。ブルーハーツに意味なんか無くて、好きって言えなくて、かっこつけてても変な夢を見てて、盛り上がってるのは自分だけで、ああ、みんなかわいいなあ。これ、アイドル映画だな。
■8月15日(月)
終戦記念日。三上が靖国神社に行きたいというので九段下へ。ディズニーランドのような人だかり。ものすごい地場が強い。否が応にも戦争というものが確実に存在していて、いまもこの国に色濃く影を落としているのを感じる。こないだ長渕剛が戦艦大和のセットの上で歌うのをテレビで見たのだけど、その時に、大和に乗って死んでいった二十歳そこらの青年兵は、純粋に自分達の親や弟妹を我が身を犠牲にしてでも守ろうという究極の愛を持っていたと長渕が言っていて、その尊い愛の精神が今は見られないことを嘆いているような感じだったけれど、そんな犠牲愛は発揮されずに済ませたいよ。市民平等というけれど、自分の意志で何とかできる範囲には人それぞれどうしようもない違いがあって、だから一般の犠牲者と戦犯として処分された指導者をいっしょくたに祀るのはどうにもお参りしづらいし、どんな理由があろうとも、明らかに負けると分かる戦争を指導していた人たちを、神と崇める気にはならないよ。バービー人形を毛糸で編んだ袋に入れて首から下げて歩いているおじいさんがいて、はた目にはおかしな人なんだけど、あれはきっと妹なんだろう。そういうリアルがあるのだ。でも金髪はないんじゃないか。
皇居を抜けて東京駅に行こうとしたらなかなかお堀を渡れないうちにほとんど4分の3周くらいしてしまった。国会議事堂(の屋根)を初めて生で見る。三上から郵政民営化について教えてもらう。ていうか今度の選挙はつまらないなあ。ついに白票かなあ。一番定食屋が開きやすくなる政党はどこですか?
夜、大阪へ。新大阪の本屋で「白痴」を購入。友沢ミミヨの「まめおやじ」は無かった。
■8月14日(日)
遅めの朝食をいただき、寺沢君の車で結城の隣の筑西市(元下館市)にある相馬君の実家まで、昨夜はそこに泊めてもらった恭子さんを迎えに行く。アリスのムービーを観たり、来月の荒川君の披露宴の余興の打ち合わせをちょっとしたりですぐにおいとま。とんぼ返りで世田谷にある兄の家に先日生まれたばかりのはるかちゃんを見に行く。小さいなあ。お兄さんになった遥太君はアンパンマンのDVDに魂を吸い取られていた。
■8月13日(土)
夏休み初日。昼過ぎに東京に着いて、原宿にて行われているVirtual Beauty EXPO 2005に、アリスの展示を見に行く。壁一面の3DCG美少女たちに囲まれたアリス。完全なるアウェーゲームの中で正気を保っていられるのは、アリスに物語があるからか、呼吸をしているからか。
ドトールでアイスコーヒーを飲んで(こないだも思ったのだけどすっかり忘れて頼んでしまったので、ドトールのアイスコーヒーは美味しくないという覚え書きをしておく)、恭子さんと別れ茨城県の結城へ。小中学校の同窓会。結城には小5から高3まで住んでいた。もっとも高校は栃木まで通っていたけど。第2の故郷。今回は学年会ということもあり本当に久々の面々とも会う。男子は大抵分かるけど女子はさっぱりだな。あの人美人になったねえ、と言われても、いや確かに美人だけど元を憶えちゃいないよ。結城は生まれたところでもないし帰るところでもないので、どこかよそ者感を抱いて(あるいは抱かせて)しまうのだけれど、いいじゃないか第2の故郷があるのも、と思う。みんないい人だ。小6の時に転校してきて、学年で一番勉強のできたサンソンが、いまは朝日新聞の大阪支局にいると知り驚く。今度大阪で会おうと約束をする。中1のときに同じクラスで、読書好きだった(と記憶している)野村さんが、トーキョー/不在/ハムレットで詩人役だった南波さんにいでたちというか雰囲気が似ていたので「劇団員みたいですね」と声をかけるが、それはないだろう。小学校に猫を隠して連れてきた石パン(石川君。結城は〜パンというあだ名が多い。藤田君はフジパンだし黒川君は黒パンだし佐藤君はサトパンだし先の結婚披露合宿に来てくれた山崎君はアンパンと言われていた。)は、かわいい赤ちゃんを連れてきていた。隠してはいなかった。2次会、3次会で3時頃解散。寺沢君の実家に泊めて頂く。
■8月7日(日)
マイカルまで「妖怪大戦争」を観に行くも、開演10分前に到着して満席にて断念。代わりにTUTAYAで黒澤明の「どん底」を借りる。TUTAYAの更新期限を逃していた恭子さんは改めて新規会員になる際、クレジットカード付きの会員と、普通の会員の2つのどちらかを選べと言われ、カード付きは年会費も更新も不要で特典もつき普通に見ればどう見てもお得なのだが、しかしそのお得をだれがどう負担しているのか分からない気持ち悪さよりは、年会費200円を払うということで普通の会員に。こういう生き様はロックですか?

「どん底」ゴーリキイ:先日岩ちゃんと玉川上水散策をした時に偶然見つけた古本屋で買った。100円。戯曲。併読していた中沢新一の「アースダイバー」によれば、思いっきり「湿った」人たちのおはなし。湿ったところに住む人々の滲みでる人間くささを登場人物の会話だけで浮かび上がらせるのは凄いと思った。巡礼者ルカをゴーリキイが理想として描いたのか、皮肉として描いたのかが気になる。
「どん底」黒澤明:かなり原作に忠実。役者はろれつが回らなさ過ぎだが。ドストエフスキーの「白痴」とシェイクスピアの「リア王」と併せて原作→黒澤コースを楽しもうと思う。
■8月6日(土)
に第2子誕生。名前はまだない。うそ、もうある。はるかちゃん。
土曜の朝のお楽しみ「建もの探訪」は甲子園中継でお休み。残念。
近所のマイカルに今日封切りの「妖怪大戦争」を観に行こうと身支度をしていたら、ものすごい雷が始まって、妖怪襲来とおおはしゃぎの二人。すごい雨も降ってきたので映画はやめる。雷の音はどうして鳴るのかをちょっと不思議に思ったけど調べない。曽我部恵一の「ストーミー」を歌ったり、ベランダで雷を観察したり、本を読んだりしているうちにまた昼寝。寝過ぎて四肢に力が入らなくなる。寝ているうちに恭子さんは社宅の庭にミニ竪穴式住居を建設していた。

「うたのかたち」湯川潮音:先週「リンダリンダリンダ」を観ようとしたら、関西ではまだやっていなかったので代わりに買ったらとても良かった。初めてくるりの「さよならストレンジャー」を聴いたときのような、穏やかさとざわざわ感がどっちもある感じ。お父さんは湯川トーベン。
■7月24日(日)
冷し中華はじめてみませんか?

「火星のタイムスリップ」フィリップ・K・ディック:ディック読み直し月間。ディックの作品は多くの映画の原作になったりもしていて、プロットの面白さやどんでん返しの無気味さに注目が行きがちだけど、このひとの長編を読んで思うのは、ディックがドストエフスキーの様に、チャップリンの様に、人類の文明化、合理化、画一化を激しく嫌っていることで、だからディックの描く未来はいつだって灰色で気持ち悪くてろくなことが起きない。(貨幣の増殖という名の)進歩こそが人間の使命だと信じて疑わないうちの社長に読ませたい。芸術家の本能はいつも普遍的に大切なものを嗅ぎ取っているような気がして信用できるのだけれど、文明化や合理化を批判するのが、ディックや太宰の場合ただ駄々をこねる子供の様に見えるのが面白い。
「LOVE LETTER」曽我部恵一:このひとの本能もとても信用できる。
■7月15日(金)
 休暇。4連休初日。徹底的に怠惰をむさぼる。怠惰であることに対して罪悪感を感じるのは、かけっこが遅いとか、方向音痴であるとかのいかんともし難い能力の欠如と違って、本人の心掛け次第でどうにでもなるという側面があるからだと思われるが、違うね。怠惰であることもどうにもならない能力のひとつだ。怠惰なひとは怠惰に時間を浪費して、自分の中のこんなではダメだというばねを十分に縮めないと行動に移れないのだ、と開き直る。太宰が怠惰でなかったらなにも面白くないのだ、きっと。今日の夜行で関東に帰ります。明日は玉川上水散策ツアー。あさっては0 1/2計画の段ボールパッケージワークショップ。行動する。
「スターウォーズ エピソード3」:結局日曜日に観ました。吹き替え。むせるドロイド。前から2列目で見るマスター・ウィンドゥ(サミュエル・L・ジャクソン)はノーメークでも宇宙人顔の大迫力。相変わらず老人とは思えない節操のない動きのヨーダと見どころ満点。シリーズ観てる人はスクリーンで観とけ。あと、エピソード3はみんな強くてカッコイイので、これ観た後にエピソード4、5、6を観ると、ダースベイダーがへなちょこルークに勝てなくてちょっとがっかりする。ヨーダの変わり様もかなり笑える。さみしかったんだろうな、一人で。
 帰り道、傘を開くのにライトサーベルの効果音付き。
■7月9日(土)
 風邪気味の恭子さんに付き合って昼寝をむさぼる。起きて、3時過ぎの昼ご飯はフォー。ドラクエをクリア。メタルスライムにはまじんぎりが効く。夜はソウメン。ラーメンマンのお父さんはソーメンマンだよ、と教えてあげる。スターウォーズは観ておくべきか。
「高い城の男」フィリップ・K・ディック
「金閣寺」三島由紀夫:妄想と行為の垣根は何でできているのか。実際の犯罪者の心理はきっとそんなに論理的でもクリアでもないのだろうけど。オウムの人たちも、それを理解できないと拒絶する人たちも、もっとこんなふうに狂気に寄り添うといいと思う。最後の一文に涙。
■6月11日(土)
 こんばんは。
 妻が網戸にとまった虻を眺めていたら3時になっていました。
 仕事で、売れる冷蔵庫を考えなければならないのだが、例えばキムタクのドラマや紅白歌合戦が40%という視聴率(=シェア)をとる時に、残りの60%はアンチキムタクであるのに対して、3%とかの低視聴率番組だと、残りの97%はアンチではなく無関心であると仮定すれば、つまり、売れる冷蔵庫を考える方法論としては、嫌われる、欲しくない冷蔵庫を考えればいいのではないかと、いろいろ考えてみる。ロココ調。「扉が開きます」としゃべる。花柄。ああ、欲しくないなあ。いや、花柄はいいかもなあ。アイディア募集中。

ところでキムタクを金宅と変換するよ、このひとは。

 社宅の清掃をしていて考えたのは、土は停める、隠す、という作用を持っているということで、コンクリートで土を覆ってしまったり、神社の周りの雑木林を伐採してしまった現代人は、同時に人間の内面にひそむ悪を隠しながらも悪とつきあう技術も忘れてしまい、だからその抑圧に耐えきれなくなった悪の発露は、唐突で露骨で未熟だ。

「海辺のカフカ」 村上春樹
「僕の叔父さん 網野喜彦」 中沢新一:山田君がBBSに書く「無職のひと」はこの本でいう「非農業民、悪党、芸人」の系列にいる人たちで、一方、ニートと呼ばれるのはむしろ「農業民(=会社員)」の子供であるという相違に着目すれば、ニートたちが何かを生み出したり潮流をおこすことはあまり想像できなくて残念な気持ちになる。漱石の父親がどんなひとかは知らないけれど。無鉄砲?
「オペレッタ狸御殿」 鈴木清順:チャン・ツィイー層をしっかりと突き放した清順テイストで安心。デジタルはこのひとのためにあるなあ。ところでこれは褒め言葉なのだけど、清順作品やチェコアニメは観ているとすぐに眠たくなってしまう。トルンカの「電子頭脳おばあさん」なんかは、3回程チャレンジして、いまだに最後まで観たことがない。
  ■5月22日(日)
 父親の60回目の誕生日。実家に電話する。自分が生まれたときの父親の年齢が30才なので、今年はちょうど自分がその年齢になり、父親は自分の2倍生きているという唯一の年である。だから何だというわけでもないが、朝ご飯の途中で寝てしまったり、日曜の夕方になると押し入れに入りたくなったりしている自分に比べて、親は昔からちゃんと大人らしくて偉いなと思うよ。還暦を記念してホームページの背景を真っ赤にしてみようとしたが、荒川君のページと見間違えられそうなのでやめる。
 荒川君といえば今週入籍をするということで、なんともめでたい限りだが、折よく吉沼君から先日の相馬君の結婚式のDVDが送られてきて、マダムハニームーンバンドのあまりのぐだぐだっぷりにうんざりする。ちゃんとしているのは荒川君の乾杯だけだよ。というわけで次のマダムハニームーンバンドは9月に予定されている荒川君の披露宴だろうが、それまで各自特訓だ。
 別に還暦記念でも入籍記念でもないところが申し訳ないのですが、オトガシの新曲アップしました。タイトルはBRAZILですが、恭子さんが舞鶴で拾った貝殻で作った鳴りもの(演奏も恭子さん)がハワイっぽいです。
■5月20日(金)
 なぜ昔話の登場人物はことごとくおじいさんとおばあさんなのか。語り部がおじいさん、おばあさんで、あたかも自分の話のように語っていたからか。登場人物が若い人だと、物語の主役を主人公にゆだねられない(一緒に鬼ヶ島へ行かざるを得ない)からか。

 お父さんは会社へお仕事に行き、お母さんはおうちでお洗濯をしました。お母さんが洗濯機の蓋を開けると中に大きな桃が入っていました。

昔きっと川上が異界に繋がっていたと考えられていたように、現在は冷蔵庫や洗濯機の中が異界に繋がっている。うちの工場で流れているたくさんの冷蔵庫のうち、どれかひとつだけが本当の入り口。

ところで、とても面白そうなソフトウェアのアイディアを思い付いて、これは実現すればきっとウインドウズにマインスイーパーのように標準装備されて一生ウハウハな感じなのですが、誰か作りませんか?

■5月12日(木)
 残念なお知らせ。海の日は仕事が入りまして、「海の日に山に行く会」はとりあえず中止です。8月くらいにまた何か考える。大阪の友達と関東の友達と関ヶ原でキャンプっていうのも面白そうだな。
■5月9日(月)
 昨日ふと思い付いたことで、恭子さん以外には全く誰にも相談していないのですが、7月の海の日の三連休を使って、「海の日に山に行く会」をしませんでしょうか?行き先は永澤君のいる長野県希望。基本のノリは先の結婚披露合宿みたいな感じで、ご飯作ったり、温泉入ったり、ライブやったり、句会やったり、コントやったり、映画観たり、撮ったり、最長2泊3日でだらだらと。キャンプ地等全く探していませんが、なんか来てもいいかもという方はこの指とまれ。
■5月7日(土)
 昨日の記述は、仕事中にふと思い付いて、そのまま頭から離れなくなってしまった言葉。そういうのを無骨に記述するのも、あるいは日記としてなりたっているのではないかという試み。
 連休メモ。先月29日は1/2計画の段ボールパッケージワークショップ。主宰ミエさんが2時間ばかり遅刻。岩ちゃんが連れて来た大学ゼミ(哲学科)の同窓生が濃いキャラクタで面白かった。岩ちゃんと同じノリでたまに突拍子もないことをいうので、僕や杉ちゃんが大笑いすると、「え、今の何がおかしかったのですか」というようなきょとんとした顔をする、あれは演技なのか本気なのか。僕はいい知恵がうかばなかったのでパッケージは作らずに、アニメ学校に通うみかみの宿題のお手伝いと称してシナリオづくり。お題は「冬の神様」。シナリオの学校に通う赤羽さんにコツを聞きながら考えるが、全部コントになってしまう。「あんだって?あたしゃ神様じゃよ」。
 30日は上山家のお墓参りで高尾へ。約1年ぶりに会った甥っ子はひょこひょこ歩くようになっていて、目に入るものいろいろに興味を示し、片端からあれはなんだといった風に指を指す。

カメラのストラップが写ってしまいなんとも惜しいことになってしまっているが、甥のヨータ君とその辺の猫。

 1日は実家でごろごろして、夜に大宮の中華料理店で恭子さんの家族と食事。妹の彼氏よっちゃん初登場。よっちゃんは小学校の先生をしている。夜のうちにひとり大阪に帰る。
 2日、3日は仕事。男やもめにうじがわく。3日の夜に、恭子さんが妹とよっちゃんを連れて帰ってくる。よっちゃんは連休の疲れか熱を出してしまった。
 4日、上山家の大阪観光といえば万博公園。だらだらとボール遊びや森林浴。妹とよっちゃんは夜の新幹線で埼玉へ。

すごく苦労して撮ったのに、よっちゃんが思いっきりフレームアウトしてしまった。

 5日も仕事の予定だったけど、天気も良かったし、仕事の負荷もちょっと軽くなって来ていたので、仕事はお休みにして恭子さんとぶらぶらする。千里中央は何もないな。このセレブ崩れめ。

「カフカ短編集」:なんとも出鱈目。書き出しだけで昇天できる。「半分は猫、半分は羊という変なやつだ。」
■5月6日(金)
世界の中心で愛を叫け部。
■4月26日(火)
 低視聴率で有名なNHKの朝の連続テレビドラマ「ファイト」で、主人公の家で使っている冷蔵庫が、僕が大阪に来て初めて部品を設計した冷蔵庫であり、毎朝テレビに映る「扉キャップ上」を眺めては一人悦に入っていることは以前書いたが、どうやらドラマの展開上、主人公は近々に家を売り払いどこかへ引っ越してしまいそうであり、きっともう映らなくなるであろうその冷蔵庫を、今のうちにしっかりと目に焼きつけておこうと決意する。ビデオに撮るほどのものでもない。
■4月21日(木)
 CADに向かって考えごとをしているときに、頭の中でアルゴリズム体操がリフレインしています。困ります。
こっちもいいね。
■4月18日(月)
 相馬君の結婚披露宴で司会を務めて下さった上村さん属するラストソングスが、なんと曽我部さんと同じステージに立つとのことで、スゴイ!カッコイイ!エライ!とひとり大興奮なのですが、連休中とはいえ十中八九仕事で行けそうにない。行ける人は女房と旦那を質に入れてでも行け。
■4月16日(土)
 タイトル写真を模様替え。春だから。ベランダのプランターでは菜の花や大根の花やネギが無造作に立ちのぼっている。トップページがどうかと思うほど長くなっていたので、3月分までは他に移動。喫茶店で「サラリーマン金太郎(1)」を読む。
「ワーニャおじさん」 チェーホフ
■4月10日(日)
 梅田にてロボコンOBOG関西支部の飲み会。というのもメンバーの一人が東京の子会社に出向になり、来週末には関東に戻ってしまうため、送別会。なんか最近お別れ会が多いな。別れの春。といっても関東はしょっちゅう帰ってるし、みかみなんか毎月会ってる気もするから、あまりお別れな気分はしないけど。主役の彼女は宝塚のファンで、お餞別を買いに阪急ビルの宝塚グッズショップへ。宝塚ショップと聞いて、サーベルとかつけまつげとかクジャクみたいな羽とかの「なりきりセット」とか、大階段ミニチュアとか、宝塚着せ換えバービー人形とかを期待したのだけれど、割と普通なブロマイドとか本とか文房具とかしかなくて残念。CDとペンダントをプレゼント。大阪来るときは声かけてね。

「スイカB
 一撃で地獄脱出!!
 さらに2チェ直撃BB奪取!」

と、いきなり言われてもなんのことかさっぱりだが、つまり昨日電車の吊り広告で見たパチンコ雑誌のコピーで、あまりの訳の分からなさに思わずメモってきてしまいました。どうやらパチンコ界は凄いことになっているらしい。地獄だ。2チェってなんだ、サンチェもあるのか?世の中にはまだ自分の知らない世界が広がっている。別に知らなくてもいい世界もある。
■4月9日(土)
 朝、茨木駅まで夫婦揃って全力疾走。どこかの子供に「ちーこーっく、ちーこーっく」と囃し立てられる。向かう先は京都駅で、そこで会うのはとあるドイツ人の知り合いグンナーさん。グンナーさんはうちの父の知り合いの息子さんで、かつて早稲田大学に留学しており、学生時代はロボコンを見に来てもらったり、一緒に富士山に登って生死の間を共有した仲なのだが、今はボン大学の学生さんで、アルバイトとして年に数回日本に来て、ドイツ人相手の観光案内をしている。で、今週は京都に来ており、土曜日はオフだということで、実に10年ぶりくらいで会うことになった。グンナーさんの卒論のテーマはお守りであり(お守りというのは割と日本特有の文化らしい)、お守りといえば、お守り袋、お守り袋といえば西陣織りということで、西陣方面へ。かつて空気公団の展示会で来たことのあるほんやら洞という気持ちのいいカフェで食事をし、グンナーさんが京都へ来たら泊まるという民宿の近くにある大徳寺へ。大徳寺の中にある大仙院というお寺の枯山水を見ながら座禅の話をする。というかグンナーさんは哲学も専攻しており、日本人がドイツ人から禅のことを教わっている状態。寺の縁側で気持ちのいい日射しと風にいつまでもあたっていたい気分に駆られる。その後、バスで西陣会館へ行き、西陣織りのことをちょっと知る。かつて茨城県の結城にいたころには社会科の授業で結城紬のことを調べたりしたが、同じ織物でも作り方や目指すものが全く違っていて面白い。京都は派手で絢爛だ。グンナーさんは5時の新幹線で東京へ帰って行った。また会いましょう。
 夜は、恭子さんの会社の先輩で、貴重なというか唯一の女性機械系技術者であるAさんが、来月の結婚を期に会社を辞めて横浜へ引っ越すということで、両旦那を交えお別れおよび親睦のお食事会。終止穏やかな4人。京都から関東に行って、友達もなく仕事もなく一日家で2Chとかしてたら気が狂うよね、趣味は大事だよね、とかそんな話。
 ところでまるでどうでもいい話だが、低視聴率で有名なNHKの朝の連続テレビドラマ「ファイト」において、その主人公の家で使っている冷蔵庫が、僕が大阪へ来て初めて部品を設計した冷蔵庫であり、まあ、いつもリビングの後ろにちょこっと映る程度で、会社の宣伝には少しもなっていないばかりか、その機種はもう生産中止になっているのだが、毎朝あまり面白くもないドラマを見ては本筋と少しも関係ないところで一人悦に入っているという、自慢。
■4月4日(月)
 昨日3日は相馬君、ヒロイさんの結婚式&披露宴だった。相馬君は浄土真宗のお寺の三男であり、式場は築地本願寺。荘厳なパイプオルガンと生雅楽による仏前結婚式は日本人の僕にとってさえ珍しく、たまたま観光で居合わせた外人は「ファンタスティーック」と唸っていた。白無垢(というのですか、あれは)の新婦は仏様の様。
 披露宴では我々の結婚披露合宿で大活躍だったヤス荒川とマダムハニームーンバンドを再結成。バンマス荒川君の「乾杯」独唱に始まり、新郎新婦の愛の芽生えの地である西荻窪の風景を撮り下ろしたスライドショーに合わせ、吉沼夫妻あきらさんの演奏をバックに「恋は桃色」を合唱。最後は僕がどうしてもやりたくなって当日朝に段取りを打ち合わせた曽我部さんの名曲「STARS」を熱唱の全3曲。お客さんはどう思ったか知らないがやってるこっちは大変面白かった。スライドショーの写真(本番で使ったものはここに歌詞を入れました)は絵葉書にして新郎新婦へプレゼント。
 2次会は歌舞伎座近くのこじんまりしたイタリア料理店さんを貸し切り。幹事上山の準備非周到さもあり席順も決まらずビンゴも余興もなしだったが、皆さん適当にご歓談してくれて、主役のお二人も満足そうだったので何より。最終の新幹線で戻ると大阪は思いのほか冷え込んでいた。社宅の桜はまだ三分咲き。

餅つき

後光

「無政府主義的恋愛」曽我部恵一withダブルオー・テレサ:ライブDVD。またライブをやりたくなっちゃうじゃないか。それにしても曽我部さんはどんどん「なんでかフラメンコ」の人に似てきてるな。
Diary(k)
●9月9日(金)
 指先の感覚で5ミクロンの段差を検出することができ、円周率と日本工業規格を暗記している。筋肉隆々でアルミのパイプ材を素手で曲げ、ビールは樽で飲む。いつも作業服を着ている。そういう人に、私はなりたかったけど、なれなかったよ。

 私は、私にできることをしようと思う。
 今年いっぱいで、会社を辞めることになった。


竪穴式住居
●8月15日(月)
 三上さんに誘われて、英夫さんと一緒に靖国神社へ。
 三上さんは、今通っている学校を今年度で卒業する。来年からは、お盆にお休みはとれないみたい。だから、8月15日にお参りできるのは今年で最後だそう。
 九段下の駅に着くと、参拝の人かな、と思われる人がちらほら。少し歩くと神社の入り口が見えた。ちょうちんやのぼりが出ていて、護国の御霊に感謝いたしましょう、と書いてある。
 たくさんの人がいる。日本の国のことをおもうたくさんの人がいる。
 人波に押し流されるようにして参道を行く。境内に入る門をくぐったところで、まもなく正午ですから、黙とうをしましょう、というアナウンスが入る。それが耳に入った途端、反射的に、走って逃げてしまった。

 日本の首相が靖国神社にお参りすることについて他の人がいろいろなことを言うのを、私はあまり快く受け止められない。靖国神社にお祀りされている人が、どんな人だったか、ということが、問題になっている。でも、人は死んだら、物になるだけだ。土とか、水とか、空気になる。そして、あたらしい命はそこから生まれる。私も、そうして生まれた。だから、それはとても尊いものだ。そういうことを宗教の言葉では、死んだら仏になるとか、カミになるとか言うのだと、私は思っている。
 けれども、そういう死んだ人に会いに行こうというときに、「国」という言葉が出てくると、抵抗がある。よく分からないけど、死んだ人に直接関われなくなるように感じる。靖国神社は奥に進めば進む程、「国」という言葉に満ちていた。たしかに、「国」というものは、ある。「太平洋戦争」もあった。「8月15日」もあった。その続きに私があることは、知っている。でも、人間は「国」じゃない。「太平洋戦争」でもない。「8月15日」でもない。とにかく、ここに眠っている人たちがいるのだ、その人たちに会わなければいけない、と思った。
 それで、黙とうできなかった。

 三上さんにも、英夫さんにも、申し訳ないことをしたと思う。物も言わずに走って逃げるなんて、きっと受け入れづらい行為だっただろう。

 人混みをかき分け、柵を乗り越えて、神社の裏の道まで走ったところで、英夫さんから携帯電話に着信があって、のろのろと受け答える。再会したとき、英夫さんは怒っていた。そのあと、どうしてもお参りすると私が言い張り、英夫さんと口論になる。三上さんは「混んでいるし」ということで、最後まで進まず参道からお参りしたそう。私も結局そうする。

 お昼ご飯はカレーを食べた。
●8月4日(木)
 7月30日から始まった夏休みも、もう後半。前半は一人で関東に帰っていた。普段なかなか会えない人たちや、久しく会っていなかった懐かしい人にも会うことができて、とても楽しい数日間だった。実家で少しのんびりできたし。昨日帰ってきて、英夫さんと数日ぶりの再会。
 いつもは残り物ばかりの朝ご飯だけど、今日はちょっと豪華に、フライパンで厚焼き卵をつくり、グリルで野菜を焼く。夏休みがずれているため、英夫さんは会社へ。
 ベランダのプランターに水をやり、洗濯機を回す。CDプレイヤーの再生ボタンを押す。英夫さんが新しく買ったという、湯川潮音という人の「うたのかたち」というアルバムが入っていた。とても静かで、優しい音色と声。
 上野の国立科学博物館で観た特別展「縄文VS弥生」で買ったパンフレットが面白くて、昨日から読んでいる。弥生時代の始まりや、縄文人と弥生人の体の特徴、考古学者と人類学者の見解の相違など、テーマごとに数ページずつ、署名記事形式で書かれている。出土する土器から弥生人のルーツや弥生時代の開始時期を推理する過程などはとても分かりやすく書かれているし、弥生人と在来(縄文)人がどのように弥生時代を生きたのか、想像が膨らむ。何か、このパンフレットや展示を見ると、弥生人が一方的に在来人を追い払っただけ、という感じはしない。むしろ、在来人の協力なしでは、整備された立派な水田を作ったりすることはとてもできなかっただろう、ということが言われている。でもそういう急激な変化を経たとき、在来人の心の中で、縄文的な部分が追いやられていった、ということはあるのだろうな。日本では西洋文化が入ってくる前の長い間、切れ長な目・うりざね顔という、弥生的な顔がもてはやされたようだし。
 洗濯が終わったので、洗濯物を干す。普段は家の中に干しているのだけど、今日は一日家に居られるので、外に干す。プランターを見ると、さっきはしおれ気味だった草たちが水を吸い上げて、もう元気になっている。いまこのプランターはほとんど雑草しか生えていないので、その草たち、というのは猫じゃらしとかなのだけど。でも、よく見るといつのまにか朝顔の芽が出ている。そういえば去年の秋にどこかで拾ってきて、蒔いたんだった。朝顔にしては随分遅い発芽だから、秋までにどこまで育つか分からないけれど、嬉しい。楽しみがひとつ増えた。
 お昼ご飯はそうめん。
 うちの社宅の向かいにある市民プールが、十二時半から三時半まで一般公開しているそうなので、行ってみようと思い立ち、水着を探す。水着はあったのだけど、帽子がない。小学生たちの手前、帽子なしでは恥ずかしいな、と思い、躊躇する。それでも水着とバスタオルを持って出掛ける。 途中で社宅の空き地に寄る。この前蒔いた種は、まだ芽が出ない。社宅の人が通りかかり、ご挨拶。
 そのまま空き地でぼーっとしているうちに結構時間が経ってしまったので、結局プールはやめ。空き地で裸足になるととても気持ちいい。
 帰ってきて少しだらだらする。朝からずっと一人だったので、だんだん元気がなくなってきた。こういう時にどんなことをすれば元気になるのか、よく分からない。ついつい雑誌やインターネットを見てしまうのだけど、あんまり面白くない。面白くないくせに、止められない。しかも、ますます元気がなくなる。だから、本を読んだり音楽を聴いたりしたいのだけど、こういうときは、それでは満たされない。本やCDは、始めと終りがあって、全体を通して何か意味があるところが、だめ。もっと、無意味で、ずーっとずーっと続く何かが欲しくなる。それで結局ネットサーフィンをしてしまう。しばらく続けて、ちょっと気持ち悪くなったところで、止める。
 むずかしいなあ、ひとりは。テレビをつけてみたけど、一分もしないうちに消してしまう。そのあと思い立ってラジオをつけてみたら、これが意外といい。というか、とてもいい。やっと人心地がついて、まともに考え事ができる様になった。他のことをしながら聴けるのがいいし、あと、やっぱり「声」だな、私には、と思った。
 みんな、こういうときはどうしてるんだろう。お酒とか、煙草とか、パチンコかなあ。中島らもさんの「今夜、すべてのバーで」の中に、「おいしいからという理由でお酒を飲んでいる人はアル中にならない」という意味の文章があったのを思い出す。お酒を「利用する」人が、アル中になるのだ、と。多分、ヒット商品というのも、こういうところに生まれるんだろうな。それはある種の中毒なのだろう。
 さっき、英夫さんが帰ってきた。洗濯物は外で干すとぱりぱりに乾いてとても気持ちがいい。
●7月24日(日)
くにゃくにゃ世界


赤の底から


七味唐辛子

 みえさんから誕生日の贈り物が届いたのは、7月11日、月曜日。赤いグラスが2つ。あと、小さな丸い陶製の、何だろう、これはええと、まあ、何ともいえないものが2つ入っていた。穴が上下に貫通していて、表面にはちょん、ちょん、と顔が細工してある。実用に使えないかと思案し、ひもを通して腕輪に。週末、みえさんに電話でお礼の言葉を伝える。



 電話で話すのはとても楽しいけれど、受話器を取って電話をかける瞬間はいやだね、という話をする。その日は別件もあってみえさんの方からも一度電話をかけてくれたそうなのだけど(私は昼間は出かけていたのでとれなかった)、その電話をかけるのにとても苦労したそうだ。トイレに行きたくなったのを利用してかける、とか(トイレに行きたくなることによって電話に対する過度の意識が少し和らぐのでかけられるとのこと)。私も、電話をかけるのが恥ずかしくて、その恥ずかしさを解放してやるために、「は」で始まる歌をつくって歌ったりして、やっとかけたのだ。それで、せっかくかけたのだからと、長電話。

 誕生日には、会社で知り合ったお友達である木村すずはさんからも贈り物をもらった。パンダの小銭入れ。これは、ICOKA(JRのICカード。Suicaの関西版)を入れてパスケースとして使っている。





 ICカードなのでケースから出さずに改札に触れるだけで認識してくれるのだけど、「パンダで改札が通れる」ということがどうしてこんなに快感なのか、それが不思議でならない。

 今日は久しぶりの何もない休日なので、掃除、洗濯、ふとん干し。あっ、いま、掃除をしていたらみえさんからの葉書が出てきて、前述の電話の話の間違いに気付きました。「presentを準備していたらデンワがかかってきたので・・・」と書いてある。電話をしたのはプレゼントが届くよりも前だったのだ。よく考えたら、お礼は次に会った時に直接口頭で言ったのだ。いいかげんだ、私の記憶。読んで下さっている皆様、ごめんなさい。まあ、どうでもいいことかもしれませんが。

 最近、英夫さんが即興で作ったらしいでたらめな歌ばかり歌っている。これをいちいち書き留めておいたら面白いだろうな、と思うけれど、そこまでする気も起きず、それらは無為に垂れ流されるばかりだ。この前、火星人の歌を歌っていたのは憶えている。火星人が、三人来たよ。兎と、熊と、豚だよ、とかなんとか。
 あと、昨日の夜中、英夫さんが眠っている横で私が手芸に夢中になっていると、急に英夫さんが「恭子、何着てるの?」と訊くので、「服だよ」と答えると、「ふーん」と言う。「どうしてそんなこと訊くの?」と言うと、「すごい変な服を着てる」と言う。「それは、あなたの、夢の中で?」と訊くと、「うん」と言ったきり、また寝てしまった。
 やっぱり、共同生活というのは素晴らしく面白いな。
 今朝、その話をすると、「寝言と会話しちゃダメだ」と言われる。私としては、私がどんな変な服を着ていたのか、もっと聞きたかったのだけど。

 そういえば、「スター・ウォーズ エピソード3」は、面白かった。シリーズの中では過去にエピソード4、5、6、1を観ているのだけど、私は3が最も面白いと思った。ダース・ベイダー誕生の瞬間(あの仮面を被せられるシーン)を次の日会社で思い出しただけで毛穴がぞわぞわした。

 日記を書く時間はなかなか取れないのだけど、日記に書きたいことは、日々、降り積もってゆく。だから、今日は、もう少し、さかのぼってみる。

 海の日の三連休は英夫さんと関東へ。岩ちゃんを誘って玉川上水沿いを散策する。夜行列車で東京まで行き、新宿で西武新宿線に乗り換え、拝島で下車。玉川上水は金網で道路から仕切られていたのだけど、中は雑木林が残されているし、車通りも少なく、辺りの空気はひんやり涼しかった。ときどき犬の散歩の人が通る。


金網とあじさい

 古いアパートの庭先に咲くあじさいを撮影。私は、多分、あじさいという花が好きなのだな。若いあじさいも、咲き誇るあじさいも、萎れたあじさいも、美しくて心が震える。
 途中でスーパー銭湯を見つけてひと風呂浴び、再び西武線に乗って玉川上水駅で岩ちゃんと合流。

 岩ちゃんは玉川上水駅周辺を「直線の街」と評した。「下から生えてきたのではなく、上からぽん、ぽんと建物を置いていったみたい」。私も、そう思う。高層マンション群が目立ち、比較的新しい街という印象。玉川上水という駅名とは裏腹に、街と川は全く別の領域として交わらずに在る感じがした。近くにある国立音大を見物したあと、再び駅へ。

 小川で乗り換え、鷹の台で下車。







 こちらは、街と川が思いっきり交わっている様子。玉川上水沿いの雑木林の中の道が、生活道として使われている。小学生や若者たちとすれ違いながら、創価中学と高校、白梅学園の横を通って、こんどは武蔵野美術大短大へ。
 しかしこれが、遠い。随分歩いたと思う。学生たちは毎日、このようにして通っているのだろうか。そして、ちょっとお茶するときや、学校帰りの夕食なんかは、どこに行くんだろうか。と訝しがっていたら、短大の前にバス停があって、国分寺駅に直通していた。なあんだ、そういうことか。すでに歩き疲れてへとへとになっていたので、迷わずバスに乗る。

 そのあと、国分寺の喫茶店で一息つく。のんびりおしゃべり。岩ちゃんがスケッチブックを見せてくれた。それで、私は、とても楽しかった。楽しかったので、岩ちゃんの絵について私が感じていることを、話した。そしたら岩ちゃんは、それでは、これからは、違うことをします、と言った。「え?」と問い返すと、「いま、そのことは、解説できてしまった。だから、もう過去のものです」と言う。私はうろたえた。「言わない方が良かった?」と問うと、「もう、遅い」との決然たる表情だ。取り返しのつかないことをした。岩ちゃんを未踏の荒野に送り出してしまった。


 

 
 うちの社宅には、使っていない広い空き地がたくさんある。年に二回草刈りはしているけど、庭、というよりはやっぱり空き地、というか荒れ地だ。今月の初旬に、ここに野菜の種を蒔いた。写真はそのときのもの。ブルーのシャツを着ているのは英夫さんの会社の後輩、古賀君。
 すごくワクワクしながら蒔いたのだけど、なかなか、芽が出ない。まあ、種には種の事情があるのだろう。


 
●7月7日(木)
 流しで洗ったグラスを洗い物のかごの中にことりと置いた途端、ぱん、と音を立てて、粉々になってしまった。びっくりした。
 ぬれた掌についてきらきらしているガラスの破片を眺めながら、しばらくぼーっとしていた。そのあと英夫さんが、飛び散ったガラスを掃除してくれたり、破片のついた食器やら道具やらを全部、流しで洗ってくれた。
 台所がとてもきれいになった。
●7月2日(土)
 部屋でドラクエをしている夫の後ろ姿を、引き戸を開け放して風呂に入りながら眺めているうちに、夫の耳が目に付き、「みみ」と口にした。すると夫がこちらを振り向いたので、「かお」と声をかけた。私は夫のことが好きだ。




●6月24日(金)
 一週間くらい前から風邪を引いていたのだけど、仕事で図面の期限が迫っていたので、いつ熱が出るかとひやひやしつつ(しかし密かに期待しつつ)、気力と体力と葛根湯でなんとか乗り切り、今日、図面を提出してきた。あー、よかった。
 いつもは風邪を引くと、だーっと熱が出て、寝込んで、治ればすっきり、気分爽快、という感じなのだけど、今回は寝込むまいと気を張っていたので、少しずつ喉が腫れてきて、首、後頭部、頭、顔や胸へ、とその腫れが移行していくさまが、もう、まどろっこしくってしょうがなかった。
 さっき、お風呂に入ってにんにくの丸焼きを食べて卵酒を飲んだところ。これから寝ます。ああ、もう、とうぶん起きてやるものか。世界の皆さん、おやすみなさい!
●5月10日(火)
 片道一時間半の通勤電車の中で、昨日の朝は岩ちゃん、今夜はみえしかさんに葉書を書いて過ごした。ずいぶん以前にもらった葉書の、お返事。隣に座ったおじいさんに、「すごいねえ。こまい字やねえ」と話しかけられる。裏に絵を描いたので文章を書くスペースはあまりなく、それでも欲張ってあれやこれや書きたくなることを予想して、最初からかなり詰めて書くという作戦をとっていたのだけど、言われてみればあまりにも字が細かすぎて、これじゃ読めない人もいるんじゃないか、と思う程だった。伝える技術って難しい。伝える側は知ることができない、伝達を遮っているものの種類は、ほんとうに沢山あるんだろうな。きっと演劇をつくる人なんかはとてつもない苦労をするんだろう。とりあえず、二人が若い人でよかった。
 おじいさんはその電車で大阪駅まで出たあと、すぐに夜行バスに乗って四国まで行くという。今度はこちらが「すごいですねえ」と言う番。私はいつも新幹線を使って楽をしている。
 うちに着いて、夕ご飯の準備。ハンバーグを沢山作る。玉ねぎ、しいたけ、合挽き肉、にんにく、おろしチーズ、刻みアーモンド、すりごま、ブイヨン、こしょう、シナモン、煮干しの出し汁。トマトと玉ねぎとパプリカでたれを作る。
 最近ついに、玉ねぎのみじん切りが好きになった。前は切ってるうちに玉ねぎがばらけてきて、あー、もう、とカーッとなって、最後は乱れ切りになって涙ぼろぼろ、という感じだったのだけど、玉ねぎの表面の縦筋を「切り取り線」だと思って切ってみたら、すごくきれいに切れるようになった。幅3mmくらいの「櫛形」に切る。そのあと、横にしてみじん切り。早くはないけれど、とても楽しい。
「ハンバーグの具を弱火で炒める」と「たれの材料を弱火で炒める」を同時にやったのがいけなかったようで、焦げないように片方をかきまぜては、慌ててもう片方の面倒を見て、を延々繰り返していると、だんだんぼうっとしてきて、次に何をするのかすっかり分からなくなってしまった。気が付けば夜中の3時。
●5月7日(土)
 英夫さんの会社の飲み会に参加させてもらった。二次会はカラオケ。みんな色んな曲を知っててすごいなー、と思う。今日は、力を抜いて楽しめる素朴で朗らかな曲が多いように感じた。その時その時に適した曲を私も選んで歌えたらいいのにな。
 でも、やっぱりなかなか難しい。みんなが知ってるような曲ってほんとに全然知らないのだ。結局、歌いたい歌を1曲だけ歌う。あまり知られていない歌手の歌だから、聴いている人を緊張させてしまったかもしれないな。でも、私は今日は、緊張させる係だったのだ、というふうに、思ってみる。
 最近とても好きな曲だ。クラムボンの「サラウンド」。新しい何かに触れる、どきどきする気分。
●5月6日(金)
 4-2-3-1というサイトを発見。サッカーのことが書いてある。
●5月5日(木)
 JR宝塚線の事故のニュースを聞いて最初に思い浮かべたのは、いつも乗るJR京都線で乗客のおっちゃんが若い女の車掌さんに「電車の遅れ」についてくどくどと説教をしていたことだった。私自身も、「JRはよく遅れる」という言葉を何度も口にしたことがある。通勤でJR・私鉄・バスを乗り継いでいるので、最初のJRが2、3分遅れただけで結局30分後のバスに乗ることになってしまう。急いでいるときは、じりじりする。そんな自分のじりじりのことを思い起こして、それが毎日通勤電車一杯に詰め込まれて走っているのだと想像したら、怖くなる。そういうみんなの「じりじり」が、あの事故には間違いなく関係している。そして、私も群衆の一人だ。
 もうひとつ思い出したのは、これも電車で見かけた風景で、お母さんに抱かれた赤ちゃんが、電車が走り出すと泣き叫び、駅に停まると泣き止み、また走り出すと泣き・・・をひたすら繰り返していたことだった。それで初めて気付かされたのは「電車は危ない」ということだ。凄い早さで走っている。赤ちゃんは、正しい。
 電車は危ないのだと思っていればいい。電車は遅れるのだと思っていればいい。
 些細だけど日常的に感情的になっている事柄が、あるいは何か他にもないだろうか。何かを擦り切れさせて、ほころびさせてはいないだろうか。
●4月16日(土)
 台所で文旦を食べた。

文旦



●4月4日(月)
 昨日は相馬さんと拓位さんの結婚式だった。気持ちよく晴れた空の下で集合写真を撮るためにお寺の石段の上に立つ白無垢の拓位さんは仏様に似ていた。側に居る観光客らしい外国人が「シーイズソーキュート」とため息をついた。
 披露宴では鏡開きが行われ、升酒がふるまわれた。おいしい。私は披露宴の余興でみんなと一緒に歌を歌うことになっていたので、「景気付け」と称して升で3杯飲む。
 その余興の順番が回って来て、荒川さんの「乾杯」独唱と共に舞台に上がる。というか、荒川さんが祝辞を頼まれてマイクを渡され、いきなり「乾杯」を熱唱しながら舞台に上がる、というネタ。他の人はその間に楽器を準備する。荒川さんの祝辞があり、次は、相馬さんと拓位さんの思い出の土地ということで、西荻窪の写真をスライドで映写しながら「恋は桃色」。私はこのスライドがとても気に入っていて、「恋は桃色」という歌自体の魅力と相まって、相馬さんと拓位さん、もしかしたら感動で泣いちゃうかも!などと思いながら家で何度も再生し、一人にやにやしたものだったのだけど、いざ本番、映写が始まると、スポット照明がスクリーンにあたって画像がよく見えない。あわてて照明の人にスポットが要らない旨をジェスチャーで伝えようとしているうちに、とちった。というか、歌うのをすっかり忘れていた。慌てて次の節から歌い始める。なんとか最後まで歌い終わり、三曲目、曽我部恵一の「stars」。英夫さんの歌に合わせて打楽器を鳴らしているうちに、あきらさんの素敵なベースも耳に入って来て、だんだん乗ってくる。拓位さんの会社のお友達の女の人がにこにこしながら見てくれているのがちらりと目に入る。そして、あっという間に本番終了。恥ずかしくて照れ笑いしながら退場。足鈴を付けているので退場しながらも音が鳴る。
 席に戻ってからも、お客さんたちに楽しんでもらえたかどうか心配で、また、「恋は桃色」でとちったことがいかにも自分らしくて恥ずかしく、くよくよしていたのだけど、拓位さんに、よかった、うれしかった、という言葉をもらい、ありがたかった。
 最後、相馬さんのお母さんのご挨拶。親が知っているのは子供の一部に過ぎず、周りの皆様みんなに育てて頂いている、というくだりで、もう、涙がぼろぼろ出てしまう。
 そのあと、相馬さんの挨拶。「くだらなくも楽しい余興をありがとう。そしてその余興に長時間お付き合い頂きありがとうございます」と言ってもらい、また泣いてしまう。ああ、よかった。