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「0 1/2計画」「不思議の国とアリス」
Diary(h)
■3月26日(土)
カナリア」 塩田明彦:3、4年くらい前に青山真治の「ユリイカ」を観て以来の心揺さぶられる映画。走る、ぶつ、手をつなぐ、呼吸する、ただ僕と君が「生きている」ことへの揺るぎない賞賛。今、このテーマを、洗練されていなくても、力強く語る監督の姿勢に心から拍手を。オウムの事件から10年、彼らを「理解不能なあちら側の人間」としてではなく、「誰の心にも潜む鬼」として僕は認識するようになっている。映画館はガラガラだったが、もっと沢山の人に是非観て欲しい。
■3月23日(水)
 この3月いっぱいで職場が変わってしまうCADのオペレータさんとささやかなお別れ飲み会。参加4人中3人が昭和50年生まれだったのだが、なんか話題とか、飲み屋のおねえさんへの絡み方がどうにもおやじっぽくなっていて面白かった。まるで女気のないと思われていた我が職場にも、にわかに恋の花が咲き始め(ては散り)、ひさびさに恋愛話で盛り上がる。せつない恋自慢が繰り広げられる中、最もせつなかったのは、お互い好きあっていた女性が海外に留学してしまい、音信不通のまま半年ほどして急に送られてきたメールに「もう別れて、○○さんは日本で素敵な人を探して欲しい」という旨のことが書いてあったという話で、何が切ないって、日本語のないPCで打ったであろうその文章(近況から始まって、結構長い文章だったらしい)が全部ローマ字で綴ってあったということで、たどたどしく読み進むうちに先の文章に行き当たる頃にはもう涙で文字が滲んでいたという。大賞。
 どうでもいいけど、その飲み会をした「いっきゅうさん」という変わった名前のお好み焼き屋の看板に描かれているのは、屏風の虎の前でお好み焼きを返すコテを両手に握りしめた一休さんであり、いったいどんなとんちで答えようとしているのだろうか。


先日相馬君の結婚式の2次会会場を探している時に、築地本願寺の近くにあったビル。これまたどんなことを教えているのか。 
■3月22日(火)
 有給休暇。徹底的にだらだらと朝寝、昼寝。朝青龍は強い。
 19日は吉沼君夫妻と一緒に相馬君結婚式2次会会場を探し銀座をうろつく。店を何軒か飛び入りで廻り、可能な場合は会場を見せてもらう。築地周辺は日曜定休の店が多い。アリスといういかにもお嬢様っぽいお店の隣にあった「A Votre Sante Endo」というお店が感じも規模も丁度良く、そこに決める。夜は吉沼君夫妻と別れ、渋谷で相馬君夫妻と落ち合い、弓田先生が日本随一と絶賛する魚料理屋「」へ行く。刺身やまぐろのカマが滅法美味い。3日経った今思い出してもにやけてしまうよ。
 昨日は「3月うちゃ会」。会社の同期の服部君や、えんで知り合った池川君など、久し振りの顔にも会え楽しかった。中南米マガジンという雑誌を発行されている金安さんという方は、「今日はお昼ご飯に1400円も使っちゃったから、ここで雑誌が売れなければ歩いて帰ることになるんですよ。」と、捨て身というかその日暮らしの営業活動をしていてかなり笑えた。ほとんどが身内ということでかなりだらだらとしたいい雰囲気の会になったが、本当はもっと作品で新しいお客さんを引き寄せなければならない。そのためにはまずお客になりそうな人の裾野を広げないといけないのだが、実際には何ができるかあまりいいアイディアはない。お金もない。夜はそのままカフェスローで食事。「トーキョー/不在/ハムレット」が不快のツボを押しまくりだったという杉ちゃんと、同劇をプレ公演から全部観た赤羽さんと、劇についてじっくりと話そうとしたけれど、なんか消化不良のところで時間切れ。うちゃ会にしろ何にしろ楽しい時間はいつもすぐに終わってしまう。あきらさんミエさんが東京駅まで見送りに来てくれて、最終近くの新幹線で大阪に戻る。茨木のTSUTAYAで、相馬君の披露宴に使うある曲のCDをレンタル。夜食にプッチンプリン。

「てん.」 クラムボン
■3月19日(土)
これから関東に帰ります。4月にある相馬君の結婚式の2次会会場の物色と、披露宴の出し物(「ヤス荒川のパントマイムショー」)の打ち合わせと練習と、21日はお楽しみ「3月うちゃ会」。弓田先生オススメの魚料理屋「」にも行きたいし、時間があれば映画「カナリア」も観たい。週末はうちにいないというのに、おとといの夜に恭子さんが大量に野菜を買い込んで来たので、昨日の夜は野菜たっぷりカレーをつくって(しかも恭子さんは飲み会でいなかった)、冷凍保存しようと今朝冷凍庫を開けたら、中には既にいつのものかも分からないカレーが冷凍されていた。
■3月6日(日)
 くるりの新曲「BIRTHDAY」を視聴。あまりのベースのはしゃぎっぷりに、ベースが欲しくなって、レコード屋に併設された楽器屋に行く。2つほど試演させてもらって分かったことは、自分とベースは相性が悪いんじゃないかということで、つまり、ベースはでかいよ。指の運び距離がギターと全然違って、只でさえ手が小さい僕にはちょっと弾けるようにはならないんじゃないかと思った。でも、ベースがあると曲が締まるし、やっぱり欲しいなあ。適わぬ恋。結局ベースは買わずに古着屋を物色して、錦小路でお茶碗を買って帰る。
 3/20のアリス試写イベント「3月うちゃ会」のバナーを相馬君のところから無断で持ってきて貼る。われわれ夫婦もなるべく行くつもりです。相馬君がト書きを読むという3/13のテキストリーディング公演「最高の前戯」も観に行きたいけど、さすがに2週連続の帰京は無理だ。
■2月20日(日)
 朝、目覚ましも掛けていないのにいつも通りに7時半に目覚める。バスに乗って20分くらいのところにある農協まで朝市に行く。寒い。おばさんばかり。小さな朝市で、バーゲンのようなスタートダッシュをしないとあっという間に野菜はなくなっていく。卵と大根と人参とスナックえんどうとグリーンピースを購入。井戸端会議に華が咲くおばさんたちをあとにまたバスで帰る。

 「0 1/2計画」のブログ(2/16付 「作りかけ更新」の記事(ところでトラックバックってやつはどうやって使うのですか?))でミエシカさんが、
きっと私たちの(母)親世代は
普段この「認識できない」世界に
生きているんじゃないかと想像します。
だから「認識しやすい」方法をもったもの
例えば「劇団四季」的なものの方が
エンターテイメントとして受け入れやすいのでは。
(日常とは違った方法でアプローチしてくるから面白がれる、ってこと。)

確信はどこにもないけれど。

その反動として私たちが今ここにあって
「認識出来ないこと」を目指している。

そんな振り子が大脳新皮質の登場以来
振られ続けていることを想像すると
気持ちが良いので
一人、夢想。

と書いていて、その「大脳新皮質の振り子」という考え方がとてもしっくりと腑に落ちて気に入ってしまった。しっくり過ぎて怖い位だ。おおざっぱに「認識できない」を(A)、「認識しやすい」を(B)とすれば、岡本太郎が大好きな縄文式土器の装飾性豊かな感じが(A)、弥生式土器のいかにも実用的な感じは(B)、聖徳太子が法律を定めたのも(B)、平安時代に偉い人は短歌や蹴鞠で遊びふけっていたのは(A)、武士が出てきて織田信長が実に合理的な考えで天下を統一していったのが(B)、江戸ののんびりした空気の中でお犬様が一番偉かったりしたのが(A)、ペリーが来航して西洋的思想で文明開花と喜んでいたのが(B)、天皇様のためならば欲しがりません勝つまではが(A)、原爆が落ちて戦後になっての高度経済成長が(B)で、多分学生運動というのはその流れに逆らおうとしたのだけど、逆らいきれずに未だ(B)というのが現状。あまりにおおざっぱすぎてちゃんと歴史を勉強している人から怒られそうだけど、この日本人のどっちかに振り切らないと逆側に戻って行けない感じがいかにも振り子っぽくて面白いなと思った。ファッションや音楽にもきっとこういう振り子があって、僕が、「今こそ「愛は勝つ」だ」とか言ってるのも、曽我部恵一が「ロックスターはもっと「のってるかー」とか「みんな俺についてこい」とか言うべきだ」とか言っているのもきっとこの振り子の反動の力だ。オウム真理教もきっと(A)を目指していて、でも振り子が振り切れるのを待っていられなくて、強引に押し戻そうとして、あの忌々しい事件になってしまったのだと、一人、夢想。

夕飯のかき揚げのタネに入れる用に買っておいたビールを、恭子さんがいつの間にか全部飲み干してしまったので、近くのお好み焼き屋まで外食。明日は休暇。一生懸命だらだらするぞ。

「トニー滝谷」 市川準:イッセー尾形の美大生役はなんとも無理すぎて笑える。
■2月16日(水)
 久し振りに会社が早く引けたので、商店街の卵屋さんで茨木産の卵と、キムチ屋さんでキムチと韓国海苔を買って帰る。テレビでやっていた「呪怨」を観て恐ろしい気持ちになり、せっかく早く帰って来たのになんだか損した気分だ。恐いもの見たさというのはパンドラの箱に入っていたのだろうか。そのあと恭子さんと夕食を作る。解凍していた豚肉がレンジから消えていたり(恭子さんが一足早く取り出していた)、包丁で豆腐を切って味噌汁に放り込んで、ふと包丁の裏を見たら、豆腐がひとかけらへばりついていたり、キムチを手づかみで袋から取り出したりが、いちいちホラーっぽく見えて困る。前二者はJホラー、キムチはスプラッタ系。
■2月11日(金)〜12日(土)
 夜行列車に乗り早朝東京に帰り、中央線各駅停車で行く甲府旅行。岩ちゃん、永澤君をいきなり呼び出し、山梨大学に通う永澤君の車で、スマル亭、武田神社、山梨大学キャンパス周辺を巡る。永澤君の知り合いがバイトをしているというお店でだらだらと夕食。時間がなかったしなにしろ唐突に過ぎたのであまり多くは見れなかったが、甲府の空気をなんとなく感じることができた。そしてまるっきりのいきなりな誘いに、せっかくの週末を振り回された永澤君と岩ちゃんには大変な迷惑をかけてしまった。ごめんなさい。
 その夜、新宿では、宮沢章夫さんの映画「be found dead」のオールナイトイベントがあり、体力的な問題と、また気持ちのいい役者さんたちを拝めるのとの間で、行くか行くまいか悩んでいたのだが、永澤君が「行ってもいい」という気分だということで意を決し、永澤君の車で東京に戻り、荻窪で相馬君と合流し、夜の新宿へ。ただ、さすがの強行軍がたたり、せっかくの映画とトークイベントは、半分以上うとうとしているうちに終わってしまっていた。なんだか申し訳ないことをした。詩人役の南波さんとロビーですこしだけ立ち話をしたのだが、きっとまともな受け答えができていなかったと思われる。その後、相馬君や役者さんら関係者のひとたちは朝ご飯を食べに行くとのことで、関係者でない僕がずうずうしくも付いて行ってもいいものかどうか悩んだ挙げ句、映画を観ていなかったことがばれるのを怖れて、結局帰ることにした。が、新宿駅のホームで埼京線を待つ間、その輪に踏み込めなかったことを早速後悔する。そのまま恭子さんの実家に帰り、昼過ぎまでだらだらして、大阪に戻る。大阪に戻る新幹線で隣の席に座った女性の、鼻の稜線や、スカートの色や、帽子のかぶり方が、どうにもこうにも「トーキョー/不在/ハムレット」で杜李子を演じた田中夢さんにそっくりだったので、思わず、「田中さん、ですか?」と訊いたら、「へっ?」と怪訝な顔をされた。人違い。気まずい2時間半。
 東京に「帰り」、大阪に「戻る」日々。根無し草の年月。
■2月9日(水)
 恭子さんが「これ、モハメド・アリ?」と尋ねたその映画の名前は、「アラビアのロレンス」です。
■2月6日(日)
 恭子さんは休日出勤。京都に青山真治の「レイクサイド・マーダーケース」を観に行く。この脚本を青山さんが撮る必要があるのかよく分からないな。帰りに阿部和重の芥川賞受賞作品「グランドフィナーレ」が載っている群像を購入。
■1月29日(土)
 相馬君が演出助手として参加している宮沢章夫さんの劇「トーキョー/不在/ハムレット」を京都に観に行く。一年間をかけ、4つのプレ公演を経て作り上げてきた劇であり、プレ公演は京都、大阪で上映された映像公演を除いてひとつも観れなかったので、原作となる小説を読んだり、「ハムレット」を読んだり、宮沢さんの日記や役者さんたちのブログを毎日読んでは、早く観たいという願望をつのらせてもいたわけで、朝、食器を洗いながら、ああ、この日を一年間待っていたのかも知れないと思い至る。
 京都駅でこれで3度目の「不在」観劇となる吉沼君夫妻と合流し、劇場のある京都造形芸術大学の前で会社の同僚の山田君と、恭子さんの元同僚のすずはさんとも合流し、近くのそば屋でお昼を食べる。2時間40分休憩なしの劇なので、あまり事前にお茶とかを飲まないようにしようとさんざ言っていたのに、開場待ちのロビーで「においに我慢できなくって」とコーヒーを飲みだす恭子さんとすずはさん。席は中央やや前よりのなかなかのポジション。相馬君の上演開始アナウンスのあと劇は静かに始まった。
 始まって10分ほどの場面で急に激しいダンスのシーンがあり、錯綜し乱舞する役者と、スクリーンに映し出される映像と、台詞と、音楽が渾然一体となり何処に焦点を絞るべきか早くも分からなくなり、今日が千秋楽であることを悔いる。そして、普通の将棋指しが筋を理詰めで一手一手見極めていくのに対し、羽生さんは盤面全体をひとつの映像として捉え駒を動かしていくという話を思い出し、「羽生だ、この舞台は羽生で観るのだ」と、特に焦点を絞らずに、ただ入ってくる画や音をそのまま受け入れるように観ていく。面白かった。とても面白かった。ただ、人が声を発し、からだを動かしているのを観ているだけで、涙は流れるものなのだ。もちろん、相馬君が制作に携わっていることや、宮沢さんや役者さんの日記を一年間ずっと追いかけてきて、ファンになってしまっているという感傷がそこに含まれてもいるわけで、ある意味「フェアな感動」ではないのかも知れないけれども、宮沢さんが一年間かけてじっくり、面白いと思うものをどんどん取り込んで、本当に「生きている」人間たちとつくりたかったものは、冷蔵庫のように、早く、安く、他社と競争して、合理的につくったものでは絶対になし得ないもので、どっちのつくり方がほんとうにひとを満たされた気分にするかはもう完全に明白だ。
 上演後に行われたシンポジウムはパネリストの興味がまるで噛み合ず、かなりぐだぐだで面白かった。宮沢さんはもう北関東とか方言とかわりとどうでもいい感じだし、振り付けの矢内原さんは帰りの新幹線の時間を気にしていた。関西での公演ということに則して言えば、こっちのひとは「トーキョー」という響きに対して「巨人軍」的な敵対心が少なからずあり、タイトルが意図するところの「あこがれの大都会トーキョー」とは完全に異なるニュアンスで伝わっているのではと思われる。
 近くのイタリアンレストランで夕食後、吉沼夫妻、山田君、すずはさんとは別れ、相馬君と合流するために、宮沢さんや役者さんやスタッフの参加している打ち上げに参加する。さっきまで舞台にあがっていた人が目の前にいて興奮する。詩人役の南波さんとお話をさせていただく。恭子さんは初対面の南波さんに「南波さんはおばあちゃんみたいですね」と相変わらずの失礼さだ。終電があるのでお先に退散する際、役者やスタッフのみなさんに「とても面白かったです。これからもがんばって下さい」と言うことができた。なんて幸せなファンなんだこの野郎。ほんとうに気持ちのいい心と体と声と笑顔をもった気持ちのいい人たちだ。カリオストロのラストシーンのような気持ちになる。みなさんありがとう。
  ■1月14日(金)
 一枚刃の下駄で歩く青年を見た。
■1月4日(火)
 遅くなりましたが明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 正月休みメモ
12月30日 帰省。途中、恵比寿にある弓田先生のお店で催されていたおせち料理の試食会に行く。試食会は12時からだったのだが、店についたのは16時頃で、もう終わってしまっているかもと、妻は半泣きだったのだが、まだまだやっていて、しかもあこがれの弓田先生と直に会って、料理を食べ、お話もでき、涙は感激のものに変わっていた。
12月31日 朝、大宮駅前で恭子さんの家族と待ち合わせ、お義父さんの運転する車でお義父さんの実家の山形へ。サングラスをかけて運転するお義父さんの風貌は、何というか、かなりハクが付いたものになっており、高速で前を走る車がどんどん避けて行くように思えるのは気のせいか。夜は山形郷土料理の鯉の甘煮や、米沢牛のすき焼き、おじさんのうった蕎麦等等で腹18分目くらいになる。食べ疲れてうたたねをしているうちに年を越えてしまったので、ノゲイラとヒョードルがどうなったのか未だに知らない。
1月1日 雪の中、恭子さんの家族と護国神社まで参拝に行くが、余りに人が並んでいるので、「宝くじなんて何処で買っても確率は一緒」とばかりに近所の神明神社というマイナーな神社へ行き先を変える。天皇杯を観た後、恭子さんと妹と一緒に、家の庭にかまくらを作る。大人3人が入れる随分でかいものを作ってしまった。こういう無益なものを一心不乱に作るということを、最近あまりしていなかったので、ちょっと新鮮だった。と同時に、やれやれ大人げない婿だ、と思われているであろう後ろめたさも感じる。
1月2日 山形の実家を辞する。車が見えなくなるまでいつまでも玄関先で見送ってくれたおじいさんがとても印象的だった。きっとまた来ます。その後、ちょっと思うところがあって、山形大学の周辺や繁華街を夫婦で歩き回る。大学の近くに、ビックリするぐらいちゃんとしたCD屋があって、うれしさのあまり曽我部さんのライブアルバムを衝動買い。山形の本屋で「SWITCH」も買えた。8時過ぎの新幹線で大宮の恭子さんの実家に戻る。
1月3日 大宮のマルイで恭子さんの友人とお昼を食べたあと、僕だけ浦和の実家に。祖母と伯母が来ていた。祖母は去年の夏から実家の近くの老人ホームに入っている。その老人ホームに祖母を送りがてら、少し覗かせてもらったが、完全個室、スタッフも優しそうなひとたちで実に立派なところであると同時に、どこか「生活するところ」とはかけ離れている印象も受ける。我が家にも高齢化社会問題の波は確実に押し寄せている。夜は山形で頂いた生蕎麦と、お義母さんの実家の鳥取から頂いた自然薯でとろろ蕎麦。美味い。
1月4日 中野のファミレスでみかみと昼食。結局この休み中に会えた友人はみかみだけだった。3時前の新幹線で大阪に戻り、夜は新大阪でネギ焼きを食べた。恭子さんは明日が仕事始め。僕の会社自体は6日まで休みだが、一応明日から休日出勤なので今日はもう寝る。
 今年の目標は、具体的にはいろいろと企んでいるのだが、精神的なところでいえば「笑うこと」としたい。とかいっても別に常に高らかに笑っているわけではない。それはただの変な人だ。苦しいご時世の中、無理矢理でもやけくそでもとにかく笑顔でいること。これは正直かなりエネルギーを消耗するきついことであると想像するが、まあ、頑張る。そんな訳で今年もよろしくお願いします。 
■12月29日(水)
 今日から新年4日まで冬休み。地獄のような仕事漬けの4ヶ月だったが、なんとか今年を乗り切った。今日は仕事モードと休暇モードの切り替え日のような感じで、午前中はだらだらと二度寝、三度寝を繰り返し、部屋を少しだけ片付けたあと、今年最もよく通ったカフェ「小町」に食べ納めに行く。「小町」は阪急茨木市駅の近くにある、僕と同年代くらいの女性二人がやっている、おしゃれだけど、気取らず、おいしく、スピーカーからの音がものすごく良く、欠点はと言えば、午後から仕事に行かねばならない土曜日のお昼に「小町」に行って食後のコーヒーを飲むと、その後仕事に行く気をまるでなくしてしまうことぐらいのとてもいいお店なのだが、今日は食後のコーヒーにおまけのチーズケーキをつけて下さって、とても嬉しかった。日頃のご愛用に感謝、ということでしょうか?もちろんおいしかった。その後、相馬君が演出助手として参加している宮沢章夫さんの劇、「トーキョー/不在/ハムレット」の記事が載っているという雑誌「SWITCH」の今月号を求めて、駅周辺の本屋を三軒回るも見つけられず。家に帰ってサイトで調べたら、今月号の表紙はミスチルの桜井君だったので、おそらく売り切れなんだろうな。夜はけんちん蕎麦ときんぴらごぼう。明日埼玉の実家に帰り、大晦日と正月は去年と同じく山形で過ごす。
 今年は結婚披露合宿、屋久島旅行、鬼のような仕事とやけに濃い一年だった。「カイエ・ソバージュ」という指針、というか指針の裏付けとなる書物を得、弓田先生の料理によりその指針の体現方法を獲得したのも(したのは恭子さんだけど)大きな出来事。それから「Garageband」という、なんちゃってではあるものの、念願の宅録環境が整った。来年はオトガシとしてアルバムを作る。きっと作る。CDはあまり買っていない気がするけど、特に良かったのは曽我部さんの「Strawberry」。「iPod」も完全に生活に定着してしまったよ。あと、まるっきり協力できていないけれど「0 1/2計画」もちゃんとやる、気はある。というわけで皆さん今年もありがとう。来年もよろしく。
■12月23日(木)
 世間が天皇陛下の誕生日を祝福している間、夫は会社で仕事を、妻は自転車で山を登っていた。夜、久し振りに風呂を沸かそうとすれば、水を止めるのを忘れ風呂は溢れ、満杯の水を少しでも有効活用しようと、夜中に、風呂場とベランダにある洗濯機の間を、文字どおりのバケツリレーをする。それでもまだ多いお湯でゆず湯。お風呂を豪快に溢れさすのはちょっとした殿様気分だ。
 先々週末、恭子さんのお母さんから、趣味でやっている太極拳の発表会に使うための音楽を編集して欲しいという依頼を受ける。編集と言ってもGaragebandでフェードインやらフェードアウトやらカットやらを使って、既存の曲を4分程度に短くするだけのことなのだが、自宅で恭子さんと、ああでもないこうでもないといいながら音楽エンジニアのような仕事をするのは大変面白く、こういう仕事で喰って行けたらいいなあと思った。フェードイン稼業。「フェードアウトはじめました」
先週の土曜日は会社の若手たちで忘年会。仕事が忙しすぎると愚痴ばっかりをこぼしていたのだが、カラオケで後輩の古賀君が歌ったウルフルズの「ええねん」という何でも全肯定ソングが妙に心にしみた。世の中の辛さや寂しさを全部知っていて、それでも、たとえ無理矢理でも、「ええねん」と言えるウルフルズの強さが今、求められている。ちょっと前までなら「けっ」と一笑に付していたであろう「愛は勝つ」や「それが大事」もそういう気持ちで聴けば今なら聴ける、かどうか。
日曜日は恭子さんの上司の清水さんという方の家にお邪魔する。京都から30分ほど電車に乗った、琵琶湖のほとりの和邇(わに)というところにある、基礎工事から自分でやったというその家は、住み始めて10年になるものの壁紙は貼られておらず、屋根裏はむき出しで、完成はいつになるか分からないという。ガウディのようだ。12月とは思えない暖かな日だったので、庭にテーブルを出して、清水さんお手製のチキンや鮭やタコやチーズの薫製やら、おばあちゃんが焚火で焼いた焼き芋やらをごちそうになる。3年生のコタロウ君はとても元気で、お母さんと犬のようにじゃれている。お昼をたらふくごちそうになったあと、なんだかものすごく眠くなってきてしまったので、琵琶湖まで散歩に出掛ける。本当に静かな田舎の風景の中、寡黙にたんたんと歩く清水さんと我々夫婦。清水さんの選んだ田舎の生活はとてもしあわせそうだった。





■12月4日(土)
 午後から会社に行って、来週の仕事を楽にしておこうかなと思っていたのだが、お昼に残り物で作った雑炊を食べて、歯を磨いているうちに、どうにも「イヤなことはアトマワシに」したくなったので、会社に行くのをやめて録音をする。社宅の4階から録った車の音や子供の声が物語るのはうちのマイクの性能の良さだけなのか。インストゥルメンタルです。タイトルは「雑炊、その後」にしようかと思ったけど、格好を付けて、「after the lunch」(1.2M)。lunchに冠詞はいりませんか?
 夕方、モスバーガーにて喪中葉書の宛名書き。明日には出す。きっと出す。
 「0 1/2計画」のバナーを入れました。はっきり言って全然協力できていないのですが、アリスは着々と動きだしています。ていうか当たり前過ぎて忘れていたけど、アニメは動き、だねえ。 
■11月20日(土)
 手前味噌な話だが一昨日の18日は29才の誕生日であった。そして我々夫婦は(旦那の)誕生日入籍というやつをしているので、祝結婚一周年ということにもなっていた。まあだからといって別に特別なことをするわけでもなく、むしろどちらかと言えば「忘れていた」に近い形で、夕飯も残り物の混ぜご飯と、恭子さんが会社帰りにコンビニで買ってきた冷凍餃子で済まし、夜寝る頃になって(もう日付けは次の日だった)、「ああ、そういえば」とか言っている始末であった。そんな夫婦ではありますがおかげ様で無事に一年が経ちました。そして僕はあと一年で30才になる。人はたいてい29になると、「30までには何かやっておきたいなあ」と考えたりしてしまう(そしてすぐに「でも結局ただの30ブンノ1だしな」と開き直る)ように思うのだが、まあ、「やるよ」と言っておく。あっと驚くことをやる。
 昨日は休暇だった。恭子さんは仕事が休めなかったので、一人で京都に買い物。来週出張で韓国に行くのだが、韓国は寒いらしいのでコートを探す。まだシーズンには早いらしく、極寒仕様のコートはあまり置いていなかった。結局あきらめて山本精一さんの「なぞなぞ」というCDを買って帰る。ちなみに恭子さんは、いやなことがあってもなぞなぞをすると忘れる体質だそうだ。うちに帰って久し振りに録音をしながら恭子さんの帰りを待つ。夜は豚肉とほうれん草の鍋(じょうや鍋)。
 今朝はベランダのプランターにいる芋虫の観察をする。芋虫は自分の体の太さと同じ大きさの口で、首を振りながらものすごい勢いで葉っぱを食べて行く。志村のスイカよりもずっと早い。そして食べながら、自分の体の太さと同じ大きさの肛門から、自分の体の太さと同じ大きさの糞をする。とにかく彼らはいま、来るべき冬に備えて食べることに夢中だ。そしてうちのプランターは、葉っぱを育てているのか芋虫を育てているのかよく分からないことになっている。
 その後、近くの市役所前広場で開かれている「茨木農業祭」に行く。沢山のテントが並び、農産物や食べ物を売っている。地鶏のコロッケと、モチパイと、ごぼうの揚げ天と見山汁という味噌汁を昼食代わりに食べながら、農産物品評会の入選作品を見たり、出張動物園の羊やニワトリを見たりとぶらぶらする。関西電力がIHクッキングヒーターを売っているブースがあって、周りが大盛況の中、まったく客が寄り付いておらず、「くたばれ第2次産業」という感じでなんとも痛快だった。
 帰ってテレビでJリーグを観る。レッズの優勝がかかる記念すべき試合。結局試合には負けてしまったが、2位のガンバも負けたので浦和レッズがついに優勝する。僕が浦和市民になってレッズを応援しだした頃は、もう「お荷物チーム」とは呼ばれていなかったものの、J2に落ちたりもしていたし、大事な試合には脆かったりして、「バカな子ほどかわいい」という感じで応援していたのだが、今日も、先制されて、ゴール前を固めるディフェンスをどうにも崩せないという、ダメなときの不器用レッズそのままの負けっぷりで、それでも試合が終わるその瞬間まで点を取ることをあきらめずにボールを追い掛け回す選手の姿に、その姿勢がレッズをここまで愛されるチームに育てたのであり、サポーターがそういう選手を育てたのだと思うと、そして遂に優勝という実を結んだのだと思うと、感慨無量でちょっと泣けてきてしまった。
 その後また録音。山本精一さんに倣って即興でつくった「葉っぱを食べる」をアップしました。
■11月13日(土)
 大阪の国立国際美術館へ「マルセル・デュシャンと20世紀美術」を観に行く。今日のみの特別企画、森村泰昌氏による「デュシャンにフェルメールと桂枝雀が与えられたとせよ」という何ともワクワクする響きの講演会の整理券配布が11時からだったのだが、朝いきなり寝過ごし、それでもタカをくくって大阪駅から20分程歩いて美術館に着いたのが11時半頃。既に整理券配布は終了していた。関西での枝雀人気を甘く見ていた。とりあえず腹ごしらえをしようと、館内にある喫茶店に行ったが、いかにもセレブな感じだったので敬遠し、外にあった定食屋でサバの塩焼きを食べる。最近なぜか個人的にサバブーム。いいね、響きが、サバブーム。サバフィーバーもいい。もう一度館内に戻りデュシャン展を観る。このひと既製品のスコップや便器にサインをしただけで「作品だ」といったりしたりして、いわゆる芸術の概念を壊そうとしたひとなのだが、そんなスコップや便器は結局「うーむ、これは、なかなか・・・」とか神妙な顔をして眺めるようなものではなく、つまりデュシャンは「芸術は便器だ」と言ったつもりが「便器は芸術だ」と受け取られてしまったことに戸惑っているのではないかと思った。その展示品の数々に、恭子さんは「スーパーマーケットみたいで楽しい」と言っていたが、「美術館だと思って入ったら、中はスーパーマーケットだった」とかの方があるいはデュシャンっぽいような気がした。って、デュシャン最近知ったばかりなんだけどさ。
 茨木市駅の食器屋さんでご飯茶碗を買って帰る。太宰治が「懶惰の歌留多」という小説の中で「陶器は、掌に乗せたときの重さが、一ばん大事である。古来、名工と言われるほどの人は、皆この重さについて、最も苦慮した。」とこれはひとつの法螺話として書いているが、あながち全くの法螺とも思われず、とにかく持った時にいかにしっくり来るかだけを頼りに選んだその茶碗は、柄も洒落ていて、なにより納豆ご飯がうまいのだった。

「津軽通信」 太宰治
  ■11月10日 
 回復していた。と、いきなり書かれてもなんのことだかさっぱりだろうが、つまり有り体に言えばここのところずっと忙しかった。で、週末になると体調を崩し鼻水を垂らし続けながら、ひたすら気力体力の回復に努めていた。1/2計画のことも全然考えられなかったし、小林秀雄も全然頭に入ってこないし、当然日記も書けなかった。出すことも入れることもままならなかった。が、とりあえず仕事は一段落し、昨日は8時前に家に帰り、今日は久し振りに有給休暇をとった。今朝は7時過ぎにちゃんと目が覚めた。回復した。と思った。ドラクエの「チャラチャラチャチャチャーン」という宿屋の朝の音楽が頭の中で鳴った感じ。
 というわけで、リニューアルである。相馬君のバイオリズムに負けていられるか。ちょっとどうかと思うようなバカ元気さを思わせるタイトル画像は、結婚披露合宿のブーケトスの瞬間のもの。そして最近めきめき更新頻度が上がってきた恭子さんの日記をトップページにもってきました。交換日記のようになるのかもしれないし、ならないかも知れません。どっちかばかりが更新されることもあるでしょう。ちょっと実験的な要素も含ませつつ今後ともよろしくお願いいたします。

「ico」:回復過程の一環として買ったPS2のゲーム。女の子の手を引いてお城の中を冒険する。至る所に「カリオストロの城」とか「ラピュタ」とか「コナン」を思わせるシーンがあり、その辺がツボの人にはおすすめです。安いし。キャッチコピーは「ハウルはいいからこれをやれ」。
Diary(k)
●3月26日(土)
 梅田に映画「カナリア」を観に行く。すっごく面白かった。こんなに面白いのに、どうしてこんなにお客さんが少ないのか不思議だった。もっと色んな人に観に来て欲しいと思った。本で言えば「文体」にあたる部分というのかな、映画の撮り方がとても良かった。
 子供たちが、大人の作った様々な枠組みや、思考に、あるいは自分自身の内側から込み上げてくるものに、圧迫され、流され、適応したり、しなかったり、抗ったり、抗わなかったり、するのだけど、それとは別に、生きていれば自然に与えられるようなただそこにある気持ちよさが、どんなシーンにも常に描かれていた。例えばそれは、足の裏に感じる湿った土の冷たさや、深い草いきれ、花の匂いだったり、走ること、歌うこと、誰かと一緒にいることだったり。
 もちろんそういう「文体」のようなところだけでなく、テーマや、ストーリーも、とても面白いと思う。というか、どこまでが「文体」で、どこまでが「テーマ」で、どこまでが「ストーリー」なのか、あんまりよく分からなくて、だから映画の批評というのはさっぱりできないのだけど、とにかく、観て良かったと思った。
 映画は、不幸せと幸せをひとつのシーンで同時に描くことができてすごいなあと思った。
●3月25日(金)
 サッカー日本代表対イラン戦。80インチのホームシアターを持っている人がいて、英夫さんは社宅のみんなと一緒にそこで観戦するという。家で一人で待っているのが寂しいので、ついて行く。
 私はサッカー観戦の面白さがいまいち分からないので、絶対飽きてしまうと思って、コーヒーカップに入れたお酒と本を持って行ったのだけど、意外と楽しめた。本はほとんど読まずに帰ってきた。選手の見分けがつかないというのが今まで楽しめなかった要因のひとつなのだけど、実況で選手の名前をいっていることにようやく気付いた。面白いほど選手の見分けがつくようになった。
  ●3月22日(火)
 寝てばかりの一日。カフカの「変身」を読み終わる。夕ご飯は残り物と納豆汁。納豆の匂いと山うどのほろ苦さが出会い、相撲をとっている。力強い春の味。
 昨日の「3月うちゃかい」は参加者19人ということで、にぎやか。「カフェスロー」の屋根裏部屋に机を並べてお昼を食べると、肩を寄せあう大衆食堂みたい。シナリオライター赤羽さんのシナリオにをもとに、あきらさんが即興アニメーションを制作。数秒程度だったけど、楽しかった。笑った。
 イベントの後、参加者の杉山さんや赤羽さんと「トーキョー/不在/ハムレット」の話をする。面白かった。同じものを観ても、人によってなんて受け取り方が違うんだろう、ということに、衝撃すら受けた。例えばラストシーンは最初のシーンの繰り返しでありながら、台詞の文節が所々抜けているという趣向なのだけど、これを杉山さんは「観客の記憶力に対する挑戦」と受け取り、赤羽さんは「観客の想像力への信頼」と解釈し、私は「クライマックスの後の余韻を妨げないための工夫(台詞をまくしたてるとうるさいから所々抜いた)」と捉えていた。
 帰りの新幹線の中で、みえしかさんからもらったチェコの絵本「おとぎばなしをしましょう」を読む。小さな11のおとぎ話たち。それぞれのお話がだいたい見開き2ページなので、とても短い。たとえば、あかずきんちゃんは狼と出会い、幾つかのことばをかわす。それで、おしまい。何も起きないままお話は終わってしまう。でも、「あかずきんちゃん」というお話が持っている魅力がちゃんとそこにある。
 そして、絵がいい。
 絵を指で触りながら、小さな声で読みながら、ページをめくる。とても幸せ。
  ●3月13日(日)
 「トーキョー/不在/ハムレット」を観てから、もう、一ヶ月半。
 1月の京都公演の後に参加させて頂いた関係者の皆さんの打ち上げでは、役者さんたちのパワフルさに圧倒されてしまった。声の迫力が全然違う。体中に満ち満ちているエネルギーを感じる。みんな、よくしゃべる。よく笑う。よく食べる。そして、とても優しい。
 公演で私が心を動かされた「人間の体の豊かさ」は、もちろん、誰の体にもある普遍的なものに違いないのだけど、でも、それを表現するために、彼らの体はそうとう鍛練されているのだ。そういう意味で、彼らの体は私と全然違う。私と彼らは同じ地平に立っているのだけれど、それでも、彼らは随分遠くにいるように思えた。たくさんのことを表現するには、たくさんのエネルギーが要る。私は欲張りで、しかも不器用だから、やりたいことをやろうと思ったらきっといっぱいエネルギーが必要だ。でも、自転車通勤をしなくなってからは運動らしい運動をほとんどしてていない私の体だ。少し体を動かしたくなった。
 先週末は半年ぶりくらいにソフトバレーボールの練習に行った。会社の人たちで作っているサークルで、体育館を借りてだいたい月一回くらい練習がある。楽しめる範囲で参加すればいい、という雰囲気についつい甘えて随分さぼっていたのだけど、久し振りに参加。
  ●2月27日(日)
 英夫さんは仕事の谷間で、最近めずらしく帰りが早い。金曜日には有給まで取っていた。そして、有給に合わせてピンポイントでインフルエンザになった。えらいひとだな。
 木曜の夜に微熱が出て次の日に高熱、医者に行って薬をもらい、土曜日には少し熱が下がってきた。そのあと喉の痛みと腰痛。週末はふたりで寝て過ごした。
 夕飯は、豆ご飯と洋風おでん。おでんを煮込みながらふとんの中でだらだらとチェーホフの「桜の園」を読み、没落貴族気分になる一日。あと、「けがと病気しりとり」をした。やたらと「う」で終わる言葉が多い。英夫さんが困り果てて「うそつき」と言い、「それ、病気?」と訊くと、「病気だよ。虚言症」と言うので、そのまま「虚言症」と切り返し、勝利。
●2月26日(土)
 ロシアの鉄道に乗る夢を見た。駅員さんから「ロシアの鉄道は寒いので体温が下がって死んでしまうから、みんな薬を飲んで体温を上げているんですよ」と説明される。
 よっぽど寒かったんだと思う。
 あと、体型が変わる夢も見た。肩が筋肉りゅうりゅうになって、胸とおなかが「にくじゅばん」のように膨れ上がる夢。しかも、背骨が後ろに鋭角的に曲がっている。手で押して真直ぐに戻そうとするんだけど、どうしてもぐにゃっと曲がってしまう。日頃の姿勢の悪さについてあれこれ反省した。
 夢の話を英夫さんにしたくて、手もとにあった「TVBros.」という雑誌の裏に絵を描いて説明。それをここに載せようと思って別の紙に清書しようとしたのだけど、全然うまく描けないので、1回目の絵をそのまま公開。「DELL」の広告とともに。
●1月29日
 大丈夫なんだ、と思った。はたいてもはたいても出てくる埃みたいに南波さんのからだから出てくる豊かさが、私のからだにも世界にもあるのだと思うと、私も何かをするのだ、知らないけど、きっと何かをしたくなって、何かをして、生きて、死んでゆけるのだと思い、その有り難さに涙が溢れて止まらなかった。
 今日は、宮沢章夫さん演出の「トーキョー/不在/ハムレット」の千秋楽だった。これは「不在」を描いた作品であると同時に、つよく、「そこに在る」ということを描いた作品だったのだ、と感じた。
 ラストに近い場面で、照明が全て消え、ろうそくの光だけが灯るところは、どんなに暗くなってもデジタルカメラの映像とは違って少しも情報量が減ることがなく、ほのかな光の中でどこまでも濃密にそこにある光景は、深い安らかさに満ちていた。
 終演後の会場には、ろうの匂いが在った。
●11月21日
 ベランダのプランターにいる青虫に、いよいよ食糧難の時代がやってきた。「二十日大根」は葉っぱに毛が生えていたり、ちょっと苦いところが駄目なのか、どうも青虫に不人気で、やわらかくて丸い別の葉っぱがよく食べられているのだけど、その人気の葉っぱは今日でほとんどが喰い尽くされてしまい、針のように葉脈だけになっている。人気の無い部類の葉っぱはまだ残っているものの、冬を越せるのかどうか心配だ。無事さなぎになることができるのだろうか。プランターの狭さが申し訳ないような気持ちになる。というか、葉っぱの心配をした方がいいんでしょうか、この場合。まあどちらにしても、私は青虫が葉っぱをもりもり食べて糞をするところを、ただ見ているだけだ。これから葉っぱがどうなるのか、青虫がどうなるのか、それは分からないことだけど、私のプランターには青虫の糞が残される。去年育てていた大豆は、実の大部分は枝豆として食べ、枯れたあとは茎を除いて葉っぱとさやは土の表面に混ぜた。根っこはそのままにしておいた。土の中に、思い出が溜まってゆく。
 夜は、大阪、十三の「第七芸術劇場」で上演されている「be found dead」を観に行った。ところで私には密かにどうしようもなく憧れているシチュエーションがあって、それは「ベルトコンベアーで運ばれる」ことで、なぜそんなことに憧れるのかは全然分からないのだけど、今日、南波さんの長台詞を聞いているとき、そのような気分だった。無心だった。
 前回観た時(京都公演)は「金魚鉢を眺めている」ような気分だ、と思った。無心だった。私は一心に南波さんの声を聞きたがっている。どうしてなんだろう。それによって何がもたらされるんだろう。分からないけど、青虫が葉っぱを食べるように、私は南波さんの声が聞きたい。
 そのあと、宮沢章夫さんと「扇町ミュージアムスクエア」(2003年3月閉館)で働いておられた吉田さんという方のトークショー。「扇町ミュージアムスクエア」は東京でいえば「ラピュタ阿佐ヶ谷」みたいな感じの小さな劇場で、私は一度行ったことがある。閉館したときは残念に思ったことを憶えている。宮沢さんは、「若者が小劇場での演劇や自主制作映画をつくる時に世界が小さくまとまってしまいやすい」こと(具体的には、例えば年配の登場人物が登場しない、とか)などお話しされていて、いろいろ興味深かった。
 あと、宮沢さんはいつもの(といっても3回しかお会いしたことないですが)からし色のスニーカーを履いていて、きょうはそれがとても似合っていて素敵、と思った。宮沢さんは、元気そうだった。
●11月20日
 (歌)
 眠くないなら おきろ
 眠くないなら おきろ
 眠くないなら おきーろ
 眠くないなら おきーろ
 眠くないなら おきろ
 眠くないけど さむい

 寒くて起きられない朝のふとんの中で

●11月13日
 デュシャン展を見に行った。JRで大阪まで出て、さらに地下鉄四つ橋線で一駅なのだけど、その一駅分を歩く。ところで昨日は英夫さんの会社の人と四人で飲みに行き、そのあとカラオケにも行った。私はあまり歌を知らないので山形の「花笠音頭」を歌ったのだけど、歩いているうちにそれを思い出し、無性に恥ずかしくなってしまって、英夫さんに「なんだか走り出したい気分だ」と言ったら、一緒に走ってくれた。全速力。手を繋いで植木を飛び越える。
 デュシャン展はとても良かった。スーパーマーケットみたいに楽しかった。ものが並べて置いてあるっていうのは、どうしてこんなに気持ちいいんだろう。展示のひとつに『大ガラス』の小型版を中心にこまごまと作品が詰まっているトランク(?)もあって、それもまた良かった。
 『大ガラス』には、作品が意図的に未完成のままにされている、という解説が添えられていた。何枚かの部分に分かれた設計図が横に展示してあり、作品の「完成図」もあった。「未完成」の作品と完成図を並べて観ると、完成図の方は完結していることによって何か迫ってくる迫力があり、緊張感がある。ベテラン設計者の力強い設計図や、特許資料を見ているときのような気分。でも「未完成」の方がどこか隙がある感じがして、長い時間一緒にいられる気がした。
 美術館はけっこう盛況で、かといってぎゅうぎゅうに混んでいる程ではなく、ちょうどいい感じだった。ただ、最後の方で壁の穴を覗く作品があって、そこは常に数人程度が並んでいた。私はそれを見たかったのだけど、「行列に並んで壁の穴を覗く」という行為がなんだかものすごく恥ずかしく、結局、見ないまま帰ってきた。だめだなあ、私。でも、まだ見ない穴の向こうを思い浮かべることはとても素敵なので、これで良かったのかも。売店で大判の絵はがきを一枚買った。
 ロビーに戻ると「デュシャンにフェルメールと桂枝雀が与えられたとせよ」(展示会のイベント)の中継映像をテレビで映していた。でも、ロビーの椅子がとても心地よく、私は昨日夜更かししたせいもあって、二人ともすっかり気持ちよく寝てしまった。
 帰りに駅の本屋さんに寄る。『わらのごはん』(船越康弘、船越かおり)を購入。またお料理の本を買ってしまった。岡山の民宿の自然食料理を紹介したもの。重ね煮という手法が面白いと思い、さっそく夕ごはんに作ってみる。鍋に下からこんにゃく、葉っぱ、大根、芋、玉ねぎ、人参、ごぼうの順に野菜を重ね、7分目まで水を入れて、てっぺんに水溶き味噌を塗ってからふたをし、火にかける。しばらくするとごぼうは沈もうとして、大根は浮いてきたりして、味が混ざりあう。今日はそれにうどんを入れて食べた。うどんの量が少なかったのでそのあと納豆で残りご飯も食べる。
 いいもの食べた、と思った。食べ終わったあと、とてもいい気持ち。マッサージしてもらったみたい。
●11月10日
 日曜日の子どものように英夫さんが「起きて起きて」と構ってくるので目が覚める。そうか、起きるものだっけ、朝は、と言いながら起きると英夫さんが真直ぐ前を見ながら「朝八時に目が覚めるようになった。英夫は、回復した」と言った。そうか、やっと。よかった。
 朝ごはんはトーストと昨日の残りのスープ。テーブルに飾られている「龍馬追悼展」のはがきが目に入る。面積の5分の2くらいが黒く塗られていて、白抜きで大きく「龍馬」。「龍馬が生きていたなら、今の日本をどのように思いそして活動するでしょうか」とある。いいんだけど、毎日目にするにはちょっと。かわりにみえしかさんから手紙をもらったときの封筒を挿す。ボールペンで絵が描いてあって、表が2匹の猫、裏が(多分ハワイの)海。表を手前に向けて飾る。ベランダからの日射しが透けて、モモちゃんとタンゴくん(であろう猫たち)が海に遊んでいる。体長がやしの木の3倍くらいある。
 封筒を挿しているカードホルダーは先週末にSATYで購入したもの。焦げ茶の木でできた洋梨に上から切り込みが入っていて、紙片を挿せるようになっている。もうひとつ白木のりんごもあって、これは玄関に置いて上山家のおかあさんからもらったはがきを挿している。上山家のおかあさんはいつもとてもきれいなはがきをくれる。
 ベランダの物干し竿の向こうには薄いブルーの空だけが見えている。私たちは四階に住んでいるのだ。「へはおひはまあ」と口にして英夫さんに「はあ?」と言われる。口にトーストが入っている。今朝も来たなあ。どこかに流されたりもせずに。
 英夫さんが食器の片づけをしている間に敷き布団を干す。ベランダのプランターに見たことのない芽が生えているのに気付く。なんだろう?いまプランターには「二十日大根」と「ベビーリーフ」を植えている。ベビーリーフ、といってもそういう名前の野菜なのではなく、いろいろな種類の小さい菜っ葉の種を混ぜたもの。9月に植えてからいままでちょくちょく抜いて数株ずつ食べていたので、プランターが大分すいてきた。すいた所にまた新しい株が生えている。所々に青虫がいるのを見つける。きれい。1〜2割くらいの葉っぱがかじられているけど。
 今日は二人で有給休暇をとった。これからこの間の喫茶店「イーハ」に行って「インド風ランチ」を食べるつもり。そのあと「サモサ作り」というのがあるので、エプロンを持っていく。何だろう?サモサって。おいしいのかな。
 そういえばこの前「イーハ」に行った時に、近所の人らしいおばあちゃんが来て店先に売り出されている服を見ていた。おばあちゃんがおかみさんを呼ぶのだけど、おかみさんは常連さんに、おばあちゃん、お金があると全部使っちゃうのよ、もう、と言いながら出て行き、「おばあちゃん、お金大事にしなきゃだめよ。それにずいぶん派手よ、それ」と言って結局、売らなかった。それがおばあちゃんにとってありがたかったのか、あるいは余計なお節介だったのかは分からないけど、その、「売らなかった」ということに私は衝撃を受けたのだった。
 というわけでイーハに行ってきます。日記を書くには早すぎた。まだ12時。