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Diary
●11月6日
 朝11時頃、起床。よく寝た。英夫さんはいま「休むことに夢中」だそうだ。朝ご飯は食パンにウインナ、昨日の残りの味噌汁。英夫さんは昼から仕事なので出掛けた。たまった洗濯物を洗って、メールやサイトのチェック。今夜は昨日の夜に買った「むかご」でむかごご飯にすることにきめて、支度をする。「むかご」は1センチくらいの芋で、母が鳥取の実家にいた頃よく食卓にのぼったと聞いたことがある。お米を研いで少なめの水に浸けて、塩一さじ。「地元野菜(一昨日の日記を参照ください)」も刻んで入れる。これ、おいしく出来たらみえしかさんとあきらさんが来た時に作ろう。そんな日が来るのかどうかは分からないけど、なにかとても二人にぴったりのご飯のような気がする。あと、相馬称さんが来たらさんまの塩焼きや鰯の生姜焼き、拓位さんには烏賊と里芋の煮物を作ろう。岩ちゃんが来たら豚汁かあら汁にしよう。もしかしたらもう来てくれることはないのかもしれないけど、でもそんなことを考えて一人でわくわくしてしまう。岩ちゃんにはペペロンチーノの作り方も教わりたい。
 味噌汁のための煮干しを水に浸け、洗濯物を干し、出掛ける。今日は自転車で会社に行く練習。
 茨木市駅まで歩き、阪急電車で桂駅へ。レンタサイクルを借りる。ほんとうはもう二つ手前の長岡天神が会社の最寄り駅なので、まずはそこを目指す。
 久し振りの桂。結婚する前に四年間住んでいた町だ。何度か利用したことのあるお惣菜屋さんは化粧店になっていた。今日は自転車で相当たくさん走る予定なので、お腹が空かないように何か買って行こう、と思う。この間、家から会社まで全部自転車で行こうとしたときは片道20キロ以上あって、お腹が空いて手足が重くなってしまって困ったのだ。そのときは結局たどり着くことができなかった。今日は片道15キロくらいだけど、念のため。桂大橋の手前の和菓子屋さんで「ミニ麦代(むぎて)餅」を二つ買う。「むにみぎ、みにむにてもちふたつ」。私の言えないことばリストに新たな項目が追加された。高速増殖炉、朝食付き、ミニ麦代餅。
 桂大橋を渡る。ああ、桂川。たっぷりと水をたたえた桂川。川べりは草むらで、犬の散歩の人やバーベキューの人や、その他色んな人たちがいる。この辺りは耕作が禁止されている。美観保護のためという理由なのだけど、誰にとっての美観なんだろう。そんなことはおかまいなしに、小さな雑然とした畑や小屋がちらほら。この風景が私は本当に好きだ。ずっと変わらないでいてくれたらいいのに。でも、変わっていくんだろうな、少しずつ。草と木がもじゃもじゃに生えてとても入れなかった中州は、木片チップを固めて作ったきれいな遊歩道になり、立て看板には「河岸整備工事によって伐採された木を有効利用しました」と書かれていた。
 長岡天神までは1時間半かかった。その間に日が暮れた。山のむこうに沈んでいく最後の太陽は氷みたいに溶けて、夕焼けが残った。子どもの頃に読んだ「ふしぎの国のアリスの算数パズル」という本を思い出した。ろうそくが全部溶けるには、まず半分溶けないといけない。半分が溶けたらそのまた半分が溶けないといけない。ろうそくが全部溶けるのはいつ?
 長岡天神から会社までは45分くらい。英夫さんから今から帰ると電話が入る。私はまだまだかかりそうですよ。申し訳ない。そばを小さな女の子を連れたお母さんが通る。うち、ママのことだあいすき。だあいすきやで。でも、ママはうちのことだいきらいなんやろ。お母さんが笑いながら何か言う。うそ!うそやろ?と言う声が聞こえる。
 会社までには小さな川をひとつと大きな川をふたつ越えなければならない。夜はこれが、ものすごく、こわい。車やバス、トラック、バイクがひっきりなしに通るので橋の上はとても明るいのだけど、橋から見下ろす川は鬱蒼としていて、呑み込まれそうな暗さ。なるべく見ないようにして通るのだけど、それでも目の端に水が光るのが微かに見えて冷やりとする。
 途中で麦代餅をひとつ食べ、それでも足りないのでコンビニであんまんを買って食べる。麦代餅の残りひとつは英夫さんにとっておく。全体に、思ったより時間がかかっている。会社に着いたのは18時半頃だった。
 帰路はあまり迷わず、いくらか速かった。長岡天神に着く頃にはかなりへとへとになっていて、自転車に乗ったまま電車で帰りたい、という誘惑に駆られたけれど、それを恥ずかしがる程度の体力は残っていた。前回はそれを実行するほどばてていた。1時間後、桂に到着。レンタサイクルを返す。
 電車に乗っている間、最近買った「サバク」という写真冊子を読む。この写真を撮ったカメラマンは砂漠が好き過ぎて、アパートに砂を敷き詰めて住んでいるという。本当なんだろうか。風になでられてひたすら幾何学的に続く砂漠の写真は美しく不毛。でも星空だけは親密でとんでもなくきれいだ。
 英夫さんが買っておいてくれた豚肉の小間切れと椎茸、残り野菜で、炒め物と味噌汁。むかごご飯はしみじみとおいしかった。
 結局、会社まで自転車で行くメリットはあるんだろうか。電車の時間も含めて、全部で1時間15分程度。もともと、電車とバスで行くと1時間半かかる(ものすごく不便な所に会社がある)ので時間を短縮したいというのが自転車計画の動機なので、一応の目的は達成しているのだけれど、思ったほどは速くないし、あまり走りやすい道でもない。あと、橋がこわすぎる。どうしようかな。とりあえず、保留。
 それにしても長い日記。最後まで読んでくれる人はいないかもしれないな。往復30キロ自転車で走ったあと、長い日記を書く一日。
●11月4日
 会社の最寄りの大久保駅の改札前にはスーパーがあって、夜10時まで開いている。今日はかなり仕事が遅かったので、ここで買い物をして帰る。うちにはごぼうがまだ半分あった。きんぴらにしよう。あと、見たことのない野菜があったので買ってみる。赤紫っぽい根菜。長い葉っぱは深緑で、葉脈が紫。一束198円。それと、豚の肩ロースかたまり肉を170g。きんぴらに入れるつもり。なんだか最近、豚ばかりだ。このままじゃ豚になっちゃうよ。
 うちに帰って夕飯の支度をしていたら英夫さんに「なにそれ。なんていう野菜?」と訊かれる。ラベルには、地元野菜、京都、と書かれている。豆腐と一緒にみそ汁に入れた。
 きんぴらもみそ汁もとてもおいしかった。その野菜は匂いとほろ苦さが心地よく、いっぺんに好きになった。大好きだ、地元野菜。また買おう。
●10月31日
 午前中は家の中が寒かった。散歩に行こうということになって、近所の茨木高校を通りかかったら文化祭をやっていた。たこ焼きでも食べようと思って、そのペットボトルで出来た背の低い飾り門をくぐり、受付へ。高校生は顔が小さいなあ。対応してくれたのはきめの細かい肌をした色白の男の子だった。やっぱり全然違う、私の肌とは。私は化粧もしていないしひょっとしたら高校生にも見えるんじゃないかと思っていたけど、それはないな、これじゃ。残念。
 生地から手作りという家庭部のピザを目指して四階へ。その途中、途方もなくたくさんの剥製や標本が飾ってある廊下を通らなくてはならず、これはシュワンクマイエル(人形アニメ作家)だったら大喜びだな、と思いつつ、これのおかげで食欲が萎えてしまう人はいないんだろうか、とちょっと家庭部の心配をしてみる。が、そんな心配は無用だったみたいで、ピザは既に売り切れていた。
 再び受付に行き、色白の男の子にスリッパを返す。「どこか温かい所に行きたい」と思い、以前に一度行ったことのある喫茶店へ。もくろみどおり、喫茶店は温かかった。空気も、古い壁や柱の色も、お料理も、人も。
 常連さんらしきおっちゃん二人がお店のおかみさんとお話をしている。イラクで捕まった日本人の話も。若い人が世界に出て歩くのは素晴らしいことなんだよ、それができない国を作っちゃってる政府がいけないのよ、ほんとは、というおかみさんのことばを私は支持する。私たちも少しおかみさんとお話をした。おかみさんは八王子の出身だということが分かり、言われてみれば関西の訛りがほとんどない。ただでさえ関東のことばには懐かしさを感じるのに、私が子どもの頃に習っていた大好きなお絵書き教室の先生に話し方がそっくりだと感じて、話し終わってからじわりと涙が出てきた。英夫さんは「武蔵野のしゃべり方」と分析する。つまり、関東の言葉ではあるけれど、渋谷とかとは違うっていうこと。
 飲み終わったバナナコーヒーシェイクの底には氷がひとつだけ入っていて、その「ひとつ」というところに好感を覚える。「たくさん」でもいけないし、「ひとつもない」でもいけない。とても丁度よかった。
 種を取り除いて代わりに色とりどりの糸くずを詰め込んだ蓮の実が置いてあり、見とれる。その間に英夫さんがお勘定。お店を出た後、いくら払えばいい?ときいたら七十円というので笑い、お財布を見たら五十円玉がなく、二十円だけ払う。
 茨木市駅の駅ビルの中にある英夫さんお気に入りの古着屋は、つぶれて壁になっていた。英夫さんはびっくりしていた。「壁?」。
 商店街でお買い物。日曜日はスーパーしか開いてない。ちょっと体がだるい。自分が腰を屈め肩を動かして歩いていることに気付く。腰が動いていないから代わりに肩が動く。腰の悪い人の歩き方だ。英夫さんに「少し休みたい」と言って丁寧にストレッチ。英夫さんはベンチに腰掛け、さっき買ったばかりの小林秀雄を読む。
 夜は豚汁。とても久しぶりに英夫さんと一緒に料理。英夫さんに弓田先生の料理の本(「ごはんとおかずのルネサンス」弓田亨)を渡し、作ってもらう。今日の私は、助手。ひとが料理をするのを手伝うのは楽しいな。ふだん自分が立っている場所で作業をしている英夫さんを眺める。料理の本を見ながら注意深く人参を半分に切り、秤にのせて「10g少ないな」とつぶやき、「ごぼう、厚さ五ミリ」と言いながら輪切りにした後、本に付いている定規の前に置いて確認「4.8ミリ」。「料理、面白いかも。プラモデルみたいだ」。私は隣で片づけをしたり里芋の皮を剥いたり。煮込んでいる間、本を読んだりお話をしたりする。英夫さんが「小林秀雄は自分に似ていると思う(ヒデオだから?うん。いや、それだけじゃないけど)。弱い所、怖れているものが似ている」というので、「じゃあ、私、小林秀雄と結婚できるかな」と言ったら、「うーん、できないんじゃないかな」と言われる。「そうだよね。知り合いでもないもんね」「もう死んだしね」。
 時間になって器によそおうとしたらちょっと芋が固め。火をちょっと強くして隣の部屋で待つ。もういいかなと思って台所に戻って見てみると、火が強すぎてぐらぐら煮立ってしまっていた。味見をしてみると、やっぱりちょっと繊細さに欠ける感じ。残念。まあ、それでも十分おいしいけど。英夫さんが「豚汁に繊細さなんて関係ないんじゃないの?」と言うので、「豚汁はオーケストラのように重厚さと繊細さがなければいけない」と言う。「なるほど」。今朝の残りの雑炊とさらにそれを作ったときの残りの白ご飯、豚汁、納豆に九条ねぎ。いただきます。
 食べながらパソコンを立ち上げ日記を書く。食器がいくつもあるとやりにくいので豚汁のお椀にご飯を入れてしまって、パソコン台(といっても高さ35センチくらいのボール紙組み立て式の台)の上に置き、ノートパソコンを膝に乗せて書く。行儀が悪いとたしなめられてもにこにこしている。行儀が悪い、は、とても楽しい。
 八月から続いていた英夫さんの怒濤の忙しさが、この週末で終わった。英夫さんが帰ってこない間、私はずっと料理をしていた気がする。私の仕事が終わって9時か10時頃に家に帰ってきて、洗い物や片づけをした後、2時間も3時間もかけて料理を作る。作らずにはいられなかった。そのためにいつも寝るのがひどく遅くなり、それでも慣れると会社で眠くなることはなかったけれど、いちどメールを書いている途中に突然何を書いているのか分からなくなり、前の方を読み返しても内容が理解できなかったことがあった。仕事で忙しいのは自分ではないのだから、早く寝ればいいのに、馬鹿みたいだと思うのだけど、どうしても夜中に料理をすることをやめられなかった。それが私にとって必要だったし、ということは私たちふたりに必要だったのだ。「私は恭子」だけれど、同時に「私たちは英夫と恭子」でもあるのだなあ、ということを実感した。多分、英夫さんがすごく偏った生活状況に置かれたために、私がその反対側に偏ってバランスをとることになったのだと思う。それがやっと一段落した。
 自分の日記を読み返してみると、それが別人のように思える。物に対する興味が異常な程に激しい。ひとの掌を見たいという気持ちも、いまはそれほどでもない。でも、そのときはどうしてもそれが必要だったのだと思う。掌を見せて下さった人たち、ありがとうございました。
 紙に下書きをせずにパソコンで直接日記を書くのは初めてだ。あんまり良く考えずに書くから何でもかんでも書く。一日は長いのだ。そしていま私は英夫さんと過ごすことに夢中だ。
●10月30日
 夜、みえしかさんと長電話をする。ひとに言いたいことを言う、ということについて色々話す。言いたいことを言うためには、相手が自分にとってどうでもいい存在でないことが必要だ。というか、本当に言わなければならないことを言うことをやめた時、その人は私にとってどうでもいい存在になり、その人と過ごしているときの自分もまた、どうでもいい存在になってしまう。そこから脱出したいのだ、私は。それがもし必要なことならば、一生懸命に、丁寧に、可能な限り誠実に、言いたいことを言いたい。
 そして、なぜそう思うに至ったか、ということをお互いの今までの生活史と絡めてまた色々話す。この「生活史」という言葉、「人生」という言葉に似てるけど少しニュアンスが違う。いま私はいろいろな寄生虫のことを書いた本「笑うカイチュウ」(藤田紘一郎)に夢中なのだけど、寄生虫には複雑な生活史を持つものが多い。特定の動物に寄生しなければ成長することができず、しかも第一期、第二期、第三期とそれぞれ別の動物に寄生しなければならない。寄生虫に「人生」という言葉を使うのは変なので「生活史」という言葉になるんだろうけど、この言葉を人間に対して使ってみると「人生」という言葉では言いづらいことを表せるような気がして面白い。過去の体験だけを対象にしている感じがするのと、なにか日常を感じさせるところが「人生」とは違う。
 あと、仕事をする上での私の癖というか性癖というか、自分が担当している部分について「知らない」と言えない、というか言ってはいけないと思っているということについても話した。というか、それを言ってもいいという考えをみえしかさんから提示され、考えたこともなかったのでびっくりしたのだ。分からなくても、無い頭を絞って考え、手の届く限られた資料を使って調べる。そうでなくては仕事をこなしたことにはならない、という半ば強迫観念みたいなものに私は支配される傾向がある。そのへん、適度に肩の力を抜けると本当にいいのだけど。私の行動の中で、特に洗練されていない部分。なぜなんだろう。まったく、困っちゃうなあ、もう。ぎこちなく私は働く。
●10月11日
 私は人の出身校が覚えられない。勤めている会社も覚えられないし、誕生日や年齢、ひどいときには名前も忘れてしまう。でも、好きな食べ物は忘れない。私は人のことなんて食べ物の好みでしか認識していないのかもしれない。あとは、外見と、声。
 今まで人を見るときは顔と体つきを見ていたけれど、掌も驚く程人によって違いがあって、表情豊かだということに、最近気が付いた。それで身近の色んな人の掌を見せてもらった。以下はその記録(間違っているところがあったら済みません)。私は、みんなの掌を憶えていることができるのだろうか?
 
 私、母、たかぴさん:この三人は掌が似ている。主線が程々にはっきりしていて、細かい線がやや多い。線の大きさや細かさ、深さのバリエーションが豊か。皮膚が薄く、やや赤みを帯びているので桃に似ている。朗らかな印象を受ける。
 英夫さん:概ね私に似ている。男性にしては掌がやや小さめで、少年のような印象。私に比べて皮膚がやや厚く、掌自体もややふっくらと厚みがある。掌の温度が高い。
 妹:私よりもひと回り大きい掌。やや扁平で、主線がはっきりしていて本数が多く長い。細かい線も多く、はっきりしている。親指のふもとの丘に京都市街のようにきちんと区画整理された格子状の線がある(これは英夫さんにもある)。
 みえしかさん:私よりもひと回り小さい掌。厚みがあまりない。初秋の印象。栗、木の実、種を思わせる。主線が浅めだが、細かい線が多く、濃い。握手をしてもらったことが二回あるのだけれど、あたたかさも冷たさも感じなかった。
 みかみさん:すっきりした掌。主線の形がきれいで、細かい線は少ない。みずみずしい印象。水羊羹、和菓子、渓流を思わせる。
 日台さん:度肝を抜かれる掌。掌の形そのものは、指に比べて平が大きいというぐらいでそれほど変わっていないが、線が独特。細かい線はあまりないが、主線が非常にはっきりしていて、見たことのない形。しかも二重になっている箇所が多い。人間を超えた存在が人間の振りをしているのではと思わせる掌。
 ひろきさん:小ぶりの掌で、指に比べて平が小さい。とてもチャーミングな掌。主線が太く、くっきりしている。細かい線も多く、濃い。皮膚は厚め。野うさぎ、スローロリス、森の小動物を思わせる。
 大崎さん:類人猿の掌とはご本人の談だけれど、全くその通り。掌の下半分が大きく、親指が横を向いている。親指のふもとの丘が広い。掌自体に厚みがあって、大きい。線は複雑。
 
 ところで、手相を勉強する気はまるでない。というか、占う気がない。
●9月30日
 たとえば、人参を切って、きれいな切り口が現れる時、私は敬虔な気持ちになる。きっとこれが私の持っている信仰なのだと思う。
 私はこの日記で、「ブラックボックスを開く」ことについてばかり書いている。昨日の日記もそう。見えないものを見るという体験。密閉されていたり、細かすぎたり、時・空・色彩など様々な次元で同時に変化したり、電気など感覚で感じにくい媒体だったり。それが何かの拍子に偶然に、目に見える形で現れる。
 それは世界が他者であるということの確認なのだ。「見えない」領域は「見える」領域に比べて恐ろしく広いということ。そして世界の「見えない」ところも、ちゃんと、美しく、緻密で、豊かなもので出来ているということ。
 私達は決して孤独ではない。寂しくなんてないのだ。
●9月29日
 夜、会社帰りに雨の中バスを待つ。傘から落ちる雨だれは光の点線を描く。なぜ点線なんだろう。しかも、上の方は細かく、下の方ほど粗い点線。最初は、連なって何粒も落ちているのかと思った。でも、違う。雨粒は一粒ずつ、ゆっくり落ちている。雨粒をきらめかせる光の源はバス停の向かいの工場の蛍光灯だ。
 あっ、そうか。蛍光灯だ。蛍光灯の点滅回数は一秒間に60回(関東では50回)。つまり、交流電源の周期。目には見えないけれど、本当は瞬間的な発光の繰り返しなのだ。つまり、だから、一粒の雨だれが落ちるのに一秒かかるとしたら、それは60個に分かれた光の点線になる。
 落ちるスピードは下の方ほど速くなるから、点線も引き延ばされて粗くなる。でも、重力による加速度は途中で空気抵抗と釣り合って、そのあとは一定のスピードで落ちるはず。そう思って見てみると、確かに点線の粗さは半分より下ではほぼ一定になっている。
 こんなことが分かるのが、なぜ嬉しいのだろう。たぶん、見えないものを見たせいだ。
 蛍光灯の点滅はあまりにも周期が細かいので、普通は見えない。それが雨だれによって線に引き延ばされ、見える。また、雨だれの落ちるスピードの変化も、一瞬の出来事なので観察が難しい。それが蛍光灯の点滅によって印が付けられることによって、空間上の図形として認識できる。
●9月19日
 万博記念公園で岩ちゃんと並んでスケッチ。岩ちゃんは先に何枚かスケッチしていてそれを見せてもらったので、思いっきり岩ちゃんの画風に引き寄せられる。描いている対象の生命力に引っ張られる様に描く。とても素敵な体験だった。画面の中で木や草や道が激しく陣取り争いをする。囲碁にも似ている。

岩ちゃん

恭子


●9月18日
 岩ちゃんが関西出張のついでに遊びに来る。今晩、明晩と泊まって明後日の朝に帰る。おでんを作って一緒に食べた。
●8月3日
 みえしかさんの家に泊めてもらって、ずっとお話をした。全部でたぶん15時間くらい。みえしかさんの似顔絵を描かせてもらった。そのあと実家に帰って風呂に入ったら、長年つきあっていた背中のにきびが消えていた。あと、ものすごく体がやわらかくなった。
 実家のごはん(夕):マーボー春雨(レタス包み)、オクラのみそ汁、 焼きなすの棒切り(しょうが、かつぶし)、ゆでだこときゅうりのキムチあえ、胚芽米、ビール(本生)
●8月2日
 みえしかさんのごはん(朝):バジルとトマトとなすのスパゲティ、きゅうり(みそ)、焼きなす、焼きオクラ、ビール
 みえしかさんのごはん(昼):うどん(ねぎ、しょう油)
 麻美さんのごはん(夕):煮いかのしょう油炒め、ゴーヤの炒め物(すり黒ごま)、たこやき、冷やしみそ汁、しそご飯(すり黒ごま)、ビール(キリン)
●8月1日
 みえしかさんのごはん(夕):生春巻き(しいいたけ、しそ、人参、豆だれ)、おにぎり(おこげつき、梅干し)、焼きなす、焼きオクラ
●7月25日
 みかみさんに教えてもらった新宿のチケットショップで初めて割安の新幹線チケットを買う。私は今すこし金銭欲が湧いている。チケットショップまではみかみさんに携帯電話で誘導してもらったのだけど、それがすごく面白かった。みかみさんは新宿という空間を正確に認識している。そしてそれを言葉に置き換える方法を知っている。
 みかみさんの家では合宿のビデオを編集したものを見せてもらった。みかみさんが絵コンテを描いて、ビデオカメラの持ち主に編集してもらったそう。まだ3分くらいしかできていなかったけれど、とても面白かったです。編集って面白い。
●7月24日
 高校時代の図書委員仲間、谷口君とあかねさん夫婦の結婚お祝い会に出席。結婚式の写真も見せてもらう。谷口君は羽織はかまがすごく似合う。洋服よりもこっちの方が似合っている。明治時代の文豪みたい。あかねさんは着物に「角隠し」。写真から「重いわよ」と声が聞こえてきそうな顔。親戚を引き連れての神社までの行列の写真はわくわくするような迫力。
●7月15日
 自分でうどんを作ってみると、うどんと餃子の皮は同じものからできていることが分かる。作業に必要な技術も似ている。そして、うどんと餃子のどこが同じでどこが違うのかが、厳密に理解できる。単に、うどんがうどんであり、餃子が餃子でしかない世界からの脱出。うどんと餃子の中間の存在だってあり得るのだ。そして、うどんと私は大分違うけれども、きっとずっと先の方では同じものなのだ。世界中の全てのものを作ることができたら、きっと私のこともわかる。
 英夫さんの体に入ったそのうどんの形をしたものは、英夫さんの体をつくる。ちょっと太すぎた。
●7月14日
 最近英夫さんが残業でおそいので、待っている間うどんを打つことにした。うどんは餃子の皮と同じで中力粉でつくる。餃子と違うのは、水ではなく塩水でこねること。塩水が均一に行き渡ったら、袋に入れて足で踏む。踏むとどんどんかたくなる。折り曲げても戻ってくる程かたい。これは、グルテンが結合しているからだ。ふとんの中で30分寝かせて、さらにグルテンの結合を進める。網目状に張りめぐらされたグルテンはデンプンを包み込み麺にコシを与え、湯へのデンプンの流出を防ぐ。このグルテンの結合に、塩が重要な役割を果たすらしい(よく知らないけど)。
●7月13日
 大豆のさやの中に、豆が入っているっぽい。コロコロが2つ。
●7月12日
 米朝の落語の中で、私は「らくだ」が大好き。この話はすごく神話っぽい。紙屑屋は生と死を結ぶ中間者的存在だ。しかも、意識と無意識の入れ替わりが劇的に描かれる。
 新幹線でうたた寝から目覚めて窓を見たら、湿気に包まれた山の緑が胸を掴まれるような美しさ。
 今日は英夫さんのおじいさんのお葬式だった。おじいさんは英夫さんにそっくり。
●7月11日
岩ちゃんの個展に行った。岩ちゃんは継続的に作品をつくっていて、えらいなあ。私ももっと表現して現実にぶつからないといけない。とりあえず日記を更新しよう。
●6月?日
いろいろなものを褒めて生きていきたい。ものやひとが粗末に扱われるのが、本当に本当にいやだ。
●5月16日
くもり空 影絵を残し 雀の子
朝陽に しろく群れ飛ぶ 隣人よ
恥じ入って いとくずの様に 丸まっちゃう
泥小芋 洗って剥いて 煮てしまう
●4月?日
久世工場から久御山工場に転勤。
帰りの通勤バスの一番前に座り、雨だれに見とれる。そんなにたくさん降っていないのだけど、バスの天井から前窓に一滴ずつだらだらと垂れて模様をつくっている。その形のいびつさが色っぽい。雨だれの不規則さと対照的にワイパーは規則的な動きでその模様を消し去る。そしてまた雨だれが模様をつくる。その繰り返し。それは一見不毛な戦いのように見えるけれども、実はそうではない。もしもワイパーが拭わなければ、そのうち窓は雨粒でいっぱいになって、あまりにも涙を流し過ぎて涙の意味さえ分からなくなってしまった女の人のように、雨だれは形を失う。だから、家出した妻を何度でも迎えに行く夫のように、ワイパーは拭い続ける。
●3月21日
 久し振りに「写生」をした。かなり一生懸命に描いたのに、今ひとつ、描けた気がしない仕上がり。やっぱり、生魚の切り身は題材として難しかった。背景の食卓はすごくうまく描けた。
●2月29日
今日は、チャーシューといちごジャムとかばんとおひなさまを作った。
●2月?日
お金についてすごく根本的なことに気が付いた。
例えば、次のようないくつかの状況があるとする。
1.鳥を獲ってきて食べる。
2.鳥を獲った人から、鳥を買って食べる。
3.鳥を獲った人が肉屋に売った鳥を買って食べる。
1.は「鳥を獲る」という労働と「鳥を食べる」という消費が直接的につながっている。それに対して2.は間にお金が入ることによって、労働と消費の一対一の関係が切り話される。もちろん鳥を買う人は他の別の労働によって手に入れたお金で鳥を買うのだから、その人にとって労働と消費の量は等しいのだけれど、とにかく鳥を食べるために鳥を殺したりはしない。つまり、ひとつの「もの」に対して、労働する人と消費する人が違うのだ。そして3.ともなれば消費者は直接の労働者が誰なのかさえ分からない。労働と消費はますます遠ざかっていく。
 そして「お金」の汎用性は、人を様々な種類の消費と結び付ける。世界中の食材とそれを使った料理が、あるいは最新の技術によってつくられた便利な機器が、少なくとも日本ではあらゆる場所でいつでも手に入る。一方、その「お金」を得るための労働の方はといえば、ものすごく限られた分野において、特定の種類の仕事に従事しているのが普通だ。私の生活は、そういうアンバランスの基に成り立っている。
 そのことによってどういうことが起こるかというと、多くの「もの」について「半分しか知らない」という状態に陥る。つまり、「使い方は知っているけれど、作り方は知らない」という状態である。けれど、「もの」の持っている歴史や、あるいは五感で感じられる手触り、そしてその裏にある膨大な情報量の特性、微妙なバランスを保っているシステムのうち、消費という関わり方で知ることができるのはほんのわずかな部分でしかない。
 だから、「自分の消費のための労働」にすごく興味がある。食器洗い乾燥機を欲しいと思わないのもそういうことが理由だし。みえしかさんが「女達よ立ち上がれ!(あるいは女達よ立ち上がるな!)」で言うように、今こそ「家事」なのだ、とも思う。そして、もっと色んなものを自分でつくってみたい。
●2月3日
 青菜を下ゆでするときは、菜箸でつかんで湯の中で動かしてゆで加減を確認するのだけれど、あるとき「くっ」っと力が抜けるようにやわらかくなる瞬間がある。それは、「フレッシュな新人が挫折する瞬間」に似ている。
 程よくゆで上がった青菜は、玉子焼き、高野豆腐、紅しょうがと一緒にご飯とのりに巻かれて、おいしい太巻き寿司になった。
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ヒトとネコ(結婚披露合宿主題歌 2.5MB)
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